| 【作 者】雨宮
 雅
子 | 
               
                | 【歌 意】 | 
               
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                      | 生き残ることに全力を尽くすことと、死んでゆく身であることを自覚し、全力を尽くしてその日に備えてゆくこと。 その間にある今日という日を生きるために、糧とする米を私は厨で磨いでいるのである。
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                | 【語 釈】 | 
               
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                      | ○必死==死を覚悟して行うこと。全力を尽くすこと。○はざま==間。ある事柄と次の事柄との間の時間。
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                | 【鑑 賞】 | 
               
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                      | 作者が六十代のころの作品。若いころから病気がちの人であった。幾つかの病を克服してきたが、いつの日も力を尽くして生きざるを得なかった人であると思われる。人生の半ばを過ぎて、残された時間を生きるために、これまで以上に一日一日を大切にしてゆかなけらばならないという心を表白している歌である。
 「生き残る必死」 と歌いだしているが、いわゆる 「勝ち抜いて生残る」 の謂ではないことは明らかである。そして 
                          「死にてゆく必死」 とたたみかけたところに、この歌のリズムの良さと独自性があると瞠目させられる。
 だが、 「必死に死んでゆく」 ということはどのようなことなのだろう。どちらかと言えば稀な云い方であろう。この場合の 
                          「必死」 はもうひとつの 「必死」 、つまり 「必至」 をも誘い出す装置になっているのだと思われる。
 必ずやってくるその日のために、心怠りなく準備をしておこう。その日は突然にやってくるのかもしれないし、まだ先のことなのかもしれないが。病気を体験し、ひとつひとつ乗り越えてきた人の死生観は、ずっと健康に過ごしてきた人とはちがったものがあるであろう。
 そのような作者の真摯さと研ぎすまされた精神が上句に歌われ、日常生活にかかわる 「米を磨ぐ」 という行為が下句に歌われたことにより、虔ましさと親しさを感じさせるものとなっている。
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                | 【補 説】 | 
               
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                      | 結婚、離婚、子供との別離、再婚、病気のほかにも人生上で波乱万丈の体験をした人であった。作風には沈痛感、悲傷感を漂わせたものが多いが、作品全体には澄明な叙情があふれ、西欧的な知の魅力を潜めている。
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                | 【作者略歴】 | 
               
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                      | 昭和四年 (1929) 東京麹町区生まれ。十八歳で川上小夜子に短歌の指導を受けるが、三十代に中断、四十代に復帰した。昭和三十五年 (1960) 竹田善四郎と結婚。竹田と共に李刊個人誌 「鴟尾」 創刊。平成十三年 (2002) 
                          夫死去。出版編集などの職業の経験をもつ。
 短歌講師、いくつかの選考委員をつとめ現在に至る。
 短歌研究賞、日本歌人クラブ賞等を受賞。
 『斎藤史論』 が第十六回平林たい子文学賞。
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                | (短歌同人誌 「DOA」 
                  高旨 清美) |