かすが に  お してるつきの ほがらかに  あきのゆふべと なりにけるかも 
【作 者】あい いち
【歌 意】
春日野に、その野一面を上から押し付けるように照りわたっている月の光ガ、明るくはっきりしているように見えて、しみじみと秋の夕方になったことを感じるなあ。
【語 釈】

○かすが野==奈良市、春日山の西麓に広がる原野。奈良公園の附近で、北端に東大寺、西端に興福寺、南端に荒池がある。
ツツジの名所で、約1200頭の鹿が保護されている。
○押してる==光ガ一面に照る。
○ほがらかに==光ガ差して明るい様子で。
○なりにけるかも==なったことだなあ。万葉集によく見られる表現。

【鑑 賞】

春日野に月の光ガ照りわたっている光景を前にして、秋に夕方をしみじみと感じている歌である。
古都奈良の春日野は、原野のなかに春日大社、東大寺、興福寺などの社寺が散在し、信仰が自然とゆるやかに調和している一帯である。そこに、天から月の光ガ差す。その月の光を 「押してる」 と表現したところに、月の光ガ神々しい威力を有って隅々まで照らしている様がyかがわれる。
月は、光を力として、春日野を輝かしているのである。その明るさは、 「ほがらか」 、つまり明晰で、ゆるぎない。この月の光のありように作者は、秋の夕方の本質を見たのである。
一見すると、この歌は春日野の秋の夕刻の光景をおおらかに詠んだ歌のように見えるが、ここには、秋の夕方の本質を見抜いた作者の発見があるのだ。
また、その感動を 「なりにけるかも」 と古風に表現したことにも注目したい。そこには、あたかも古代の人になったかのように、全身でこの光景と秋という季節を感じている作者が佇んでいるのである。
そして平仮名を多用することによって、一音一音噛みしめるようにこの光景を味わっている確かさと、おおらかさが表現されているのである。

【補 説】

会津八一は東洋美術史の研究者で、たびたび奈良を訪れた。この歌は、歌集 『南京新唱』 (大正13年) の巻頭を飾る歌である。
制作年は、明治41年8月以降に作られたこと以外にはわかっていない。
作者は後に、 「春日野は今も昔も春日野で、月も、昔ながらの月ではあるが、私の目には、まことに鮮やかに見えた」 ( 「奈良の塵) とこの歌について語っている。
なお、春日野のなかの南部にある飛火野に八一の自筆を刻んだ歌碑が立っている。

【作者略歴】

明治14年 (1881) 新潟市に生まれ、昭和31年 (1956) に没した。別号、秋艸道人。
早稲田大学英文科を卒業し、後に母校の文学部教授となり、英文学や武術史を講じた。
歌壇とは交わらず、 『山光集』 (昭和19年) 、『寒燈集』 (昭和22年) などの歌集を出し、書家としても一家を成した。

(上智大学教授 小林 幸夫)