うつく しき  ごさん のひとつ われのみが  たか ぶりて い かさ ねしことも
【作 者】きし がみ だい さく
【歌 意】
いわば美しい見込み違いの一つである。私だけが気持ちを昂ぶらせて、君とのデートを重ねていたことも。
【語 釈】

○誤算==誤まった推定。
○昂ぶりて==気持ちが高揚し、興奮して。
○逢い==男女が会って話をしたり行動を共にすること。

【鑑 賞】

失恋の心情を詠んだ歌である。好きな人と、約束をして会い、話したり一緒に行動することは、至福である。 緊張と興奮とが交じり合い、密度の高い時間が流れる。 一種の高揚感を生きるのである。これが相手に惚れ切っている人の、デートの現場である。
ところが、この歌の主人公は、今や、自分たちのデートが、心情的には自分の一方的なものであり、相手は自分がその人を想うようには想ってくれていないことに気づいてしまったのである。
そして二人の気持ちの隔たりを、改めてしみじみと感受しているのである。
端的に言えば、自分はうれしくて逢いを重ねていたのだが、相手はそれほどではなかったということだ。
この 「われ」 は歌の文脈からすると相手に去られて、少し時間が経っているようである。その喪失感のなかで、自分が、相手の気持ちを見抜けなかったことへの軽い屈辱と滑稽とを味わっている。
そしてこの歌の見どころは、そのような自分の思い違いを 「誤算」 という観念で確認し、その失敗を切り返すかのように 「美しき」 と認定している事である。滑稽で失敗だが、美しい。
この思い切りは、強烈な自尊心の表れであるとともに、自己美化でもある。
この、あくまでも自己を肯定し、抒情化しなければ収まらない心情のあり方に、青春の驕慢と痛々しさの露出がある。その意味で、現代の代表的な恋愛歌と言えよう。

【補 説】

この歌は、 「告白以後」 と題された二十三首の歌群の冒頭に置かれた歌である。歌の後に 「T・Nに」 という注記があり、作者が大学一年のときに出会った女性に捧げた歌であることがわかる。
このT・Nとは昭和33年の7月に出会い、翌年の2月には作者の片恋として関係が終った。その失恋を、同じ年の5月以降に一連として作ったのである。
5月27日の日記には、
「美しい歌を作ろう、涙を流して、切なる歌を作ろう」
とあり、告白以降のかなしさが伝わってくる。

【作者略歴】

昭和14年、兵庫県に生まれ、昭和35年にブロバリンを服薬して縊死を遂げた。享年21歳。
7歳の時に父が戦病死し、貧しい母子家庭で育つ。高校入学と同時に短歌を創り始め、国学院大学入学後は、同大短歌会に入会して活動し、1960年安保闘争に身を投じた。
亡くなる年には 『短歌研究』 新人賞を受け、没後 『岸上大作全集』 (昭和45年) が刊行された。

(上智大学教授 小林 幸夫)