かのとき に言ひそびれたる 大切たいせつ言葉ことばいま も むね にのこれど
【作 者】石川いしかわ 啄木たくぼく
【歌 意】
あの時あなたに言いそびれた、大切な言葉は今も、わたしの胸に残っているけれど・・・・・。
【語 釈】

○かの時==あの時。
○大切の言葉==愛を打ち明ける言葉など。

【鑑 賞】

ふとした折に、言おうとした言葉を飲みこんで、結局言わずじまいになってしまったという経験は、多くの人に思い当たるものであろう。
口に出していれば、何気ない日常の一齣として忘れてしまったかもしれない言葉が、言いそびれたことでかえって記憶に残る事もあろう。
この歌は、誰しも経験のあるそのような心の揺らぎを、たくみに掬い取っている。
まして、啄木が歌っているのは、 「かの時」 であり 「大切の言葉」 である。二度とめぐってこないあの時に、口にしなかった大切な言葉は、そのまま胸の中に残っているけれど、今となっては恋しい人に伝えられることは永遠にない。そのかわり、淡い恋の記憶の中でいつまでも特別な輝きを放っているのである。

【補 説】

明治43年 (1910) に刊行された処女歌集 『一握りの砂』 に、 「忘れがたき人」 として掲出された恋歌二十二首の中の一首。
函館市で代用教員をしていた時の同僚橘智恵子への思慕を回想したものである。
初出は 「東京毎日新聞」 明治43年5月8日号で、
「彼の時に言ひそびれたる大切の言葉のみが今も心に残れり」
という形であった。
同歌群には
「さりげなく言ひし言葉は さりげなく君も聴きつらむ それだけのこと」
「かの声を最一度聴かば すっきりと 胸や霽れむと 今朝も思へる」
などがあり、彼女と交わした言葉の一つ一つや声の響きなどが、大切な思い出として歌の中に封じ込められていることがうかがわれる。
広く知られた
「世の中の 明るさのみを吸ふごとき 黒き瞳の 今も目にあり」
も同じ歌群の中の一首である。

【作者略歴】

明治19年生まれ (一説では18年) 、同45年没、享年27歳。
岩手県南岩手郡に曹道宗の僧侶の長男として生まれる。本名は一。
旧制盛岡中学校在学中から明星浪漫主義の影響を強く受けて、詩や短歌を作り始めた。同35年秋、後に妻となる堀合節子との恋愛などによって学業に集中できなくなり中学校を退学、小学校代用教員や新聞記者の職を求めて、岩手県や、北海道各地を転々とした。
明治41年、創作生活を志して上京、東京朝日新聞の校正係に採用され、朝日歌壇の選者にも抜擢されたが、父母や妻子を抱えて貧困にあえぎ、肺結核のため没した。
歌集 『一握りの砂』 『悲しき玩具』 、評論 「時代閉塞の現状」 などがある。

(千葉大学助教授 鈴木 宏子)