あけがたの そぞろありきに うぐひすの  はつ ききたり やぶ かげのみち
【作 者】金子かねこ 薫園くんえん
【歌 意】
明けがた、あてもなくのんびり散歩している時に、藪かげの道で、今年も初めて鶯の声W聞いた。
【語 釈】

○そぞろありき==あてもなくのんびりと歩き回ること。
○はつ音==鳥などが、その年、その季節に初めて鳴く声。

【鑑 賞】

第一歌集 『片われ月』 の巻頭歌。初出は明治33年 (1900) の雑誌 「新声」 ( 「新潮」 の前身) である。
「あけがた」 「うぐひす」 「藪かげの道」 などの平明な言葉を用いて実景を素直に詠むことによって、早春のさわやかな情緒を表現した一首である。
後年、薫園自身が 「一本調子の純真な心情をそのまま歌ったところに、いかにも初心の、少年らしい私が出ています」 ( 『歌の作り方』 ) と回想しているように、薫園の自然に対する穏やかな姿勢と初々しい心情が感じられる。
温厚であったと言われている薫園の人柄を反映した、ほのぼのとした歌である。
風雅な趣を尊重する師落合直文の歌風に通じるものであり、 「これを落合先生にお見せすると、先生は一字一句も改められずに、歌はかう自然に詠むべきであると賞められて、急に私の信念はついてきました」 (前掲書) という言葉には、直文が主宰したあさ香社が目指した歌風の正統な後継者たらんと薫園の自負が込められている。
薫園の清新な叙景詩は歌壇でも注目され、 『片われ月』 はたちまち再販された。しかし、人間の感情や理想を極力排し、美しい風景画を描くように自然の姿を素直に写し取ることを理想とする叙景歌は、その描く世界に限界があり、文学的には深みに欠けるという一面もあった。

【補 説】
薫園は、あさ香社の先輩であった与謝野鉄幹とはもともと親しく、『片われ月』 には鉄幹の序文をもらっている。
しかし、 『片われ月』 が出版された明治34年は鉄幹と結婚した晶子が 『みだれ髪』 で注目を集めた年であった。薫園は、浪漫派の情熱的・官能的な抒歌には批判的で、翌年刊行した 『叙景詩』 巻末で 「淫靡猥雑」 と非難している。
これに対し鉄幹は叙景詩を 「俳句よりも劣る如此の殺風景のもの」 として応酬。
当時清新と言われていた薫園や尾上柴舟の叙景歌も、鉄幹たちから見れば、まだまだ伝統的な美意識にとらわれたものであり、近代的な意味で人間の本性を解放するものではなかった。
【作者略歴】

明治9年生まれ、昭和26年 (1951) 没、享年74歳。
東京神田に生まれ、東京府尋常中学校を中退した後、直文のあさ香社に入門した。
『片われ月』 『叙景詩』 (柴舟と共編) 『小詩国』 『白鷺集』 など、多くの歌集を出版する一方、白菊会を結成し、機関紙 「光」 を主催するなど、後進の育成に努め、短歌の普及に貢献した

(文芸評論家 藤岡 まや子)