大門だいもん の いしずえこけ に うず もれて  七堂しちどう らん  ただあきかぜ
【作 者】 のぶ つな
【歌 意】
毛越寺もうつうじ の大門のいしずえは苔に埋もれ、かっての七堂伽藍の跡には、ただ秋の風が吹き渡っている。
【語 釈】

○大門のいしずえ==現在の本堂の東側にある、昔の毛越寺の南大門跡をさす。
○七堂伽藍==寺として具備すべき七種の堂宇のこと。七種は宗派によって異なるが、天台宗では、中堂・講堂・戒壇堂・文殊楼・法華堂・常行堂・双輪堂をいう。伽藍は寺の建物の総称。

【鑑 賞】

秋の風は、身にしむものであり、時の流れを感じさせるものである。
この歌は、 「毛越寺懐旧」 と詞書があり、明治32年の作。
毛越寺は、中尊寺と共に奥州藤原氏の栄華を象徴する寺であった。人間の世の無常と、それにおかまいなしに無限に繰り返されていく四季の巡行の対比が示されていて、 「ただ秋の風」 と言い切って終るところに、緊張感と余情が醸し出されている。
『新古今集』 の藤原良経の
「人住まぬ 不破の関屋の 板びさし 荒れにし後は ただの秋風」
との関連を指摘する説もある。
芭蕉 『おくのほそ道』 の平泉における記述
「三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたにあり」
の 「大門の跡」 は、平泉館の大門ととる説と、毛越寺の大門の跡ととる説があるが、どちらにしても、奥州藤原氏のはかない栄華を示し、往事を懐旧していて、信綱の歌と方向を同じくしている。
藤原氏が、平泉の地に壮大な文化圏を築き、繁栄を極めた平安末期の世にも、芭蕉が訪れた元禄の世にも、そして佐々木信綱がこの歌を詠んだ明治時代も、そして現在も、同じように秋の風は吹き渡っているのである。
同じ時の歌に
「ころも川 北上川を 吹きこえて あきかぜさむし 高館の城」
がある。

【補 説】
毛越寺は岩手県平泉にある天台宗別格本山。開基は円仁で、平安時代末に、奥州藤原氏二代基衡が創建し (再建したとの説もわる) 、三代秀衡の時に完成。
堂宇四十余宇・僧坊五百余宇を有する壮麗な大伽藍だったが、鎌倉時代初期に炎上し、その後衰退していった。
【作者略歴】

明治5年 (1872) 生、昭和38年 (1963) 没、91歳。
三重県石薬師 (現在の鈴鹿市) に、国学者で歌人の佐々木弘綱の長男として生まれる。 明治21年、東京帝国大学古典科を卒業。
『校本万葉集』 をはじめとする万葉学の基礎的研究に尽力し、明治31年に結社雑誌 「心の花」 を創刊。多くの歌人を育成した。
二十代には唱歌・軍歌も多く作歌し、 「勇敢なる水兵」 「夏は来ぬ」 などが今も知られている。
歌集に 『思草』 新月』 『常盤木』 『山と水』 などがある。

(日本女子大学大学院生 田代 一葉)