【作 者】斎
藤
茂
吉
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【歌 意】 |
空の光も秋晴れになり、楽しい事には、実りの季節に入っていくことであろうなあ、この栗も胡桃も。 |
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【語 釈】 |
○秋晴れ==一片の雲もなく晴れ渡った秋の空のこと。
○楽しくも==楽しい事には。 「も」 は意味を強める係助詞
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【鑑 賞】 |
茂吉64歳の時の詠。
空の様子や光の加減によって秋の訪れが実感されて、そろそろ実りの季節をむかえるのだなあという感慨を、 「楽しくも」
「栗も」 「胡桃も」 の 「も」 のくり返しによるリズミカルな調子で歌った、明るく屈託のない一首という印象を受ける。
しかし、背景には敗戦という思い現実があり、この歌を含む 「秋のみのり」 連作五首は、昭和20年に疎開先の郷里・山形県金瓶村で詠まれ、
「アララギ」 復刊第一号 (同年9月) に発表されたものである。
作歌時期は終戦の日から間もない頃と思われるが、東北地方は秋の訪れがはやいので、関東の九月中旬ぐらいの季節感であろうか。
茂吉は、 「アララギ」 誌上で銀の供出を呼びかけ、
「かたみなる 指輪ひとつも こもるべし 敵邀滅の
力のなかに」 |
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のような歌を詠むなど、銃後の国民として戦争に協力的であった。
鎌田五郎は 『斎藤茂吉秀歌評釈』 の中で、
「一首は、敗戦の悲痛より立ち直ろうとする作者の自己激励の思ひを、季節の豊饒に投影した象徴的発想で感銘深い。秀句」
としている。 |
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【補 説】 |
「秋のみのり」 の他の四首は、
「すめらぎの 大御心の 安らぎを もろともにこひ
奉るのみ」 |
「あさ早く 颱風来の 警報を 聞けばなまぬるき
風ふききたる」 |
「灰燼の 中より吾も フェニキスと なりてし飛ばむ
小さてれども」 |
「颱風来の 遠過ぎゆきし ゆふまぐれ 甘薯のつるを
ひでて食ひつも |
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自らの傷心とそれを乗り越えようとする心とを、東北の自然の中に詠み込んでいる。
これらの歌を収録した歌集 『小園』 (昭和24年、岩波書店刊)
は昭和18年から同21年1月までの疎開先の金瓶における作歌のうち、戦争に関係のないものを選んだ集。 |
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【作者略歴】 |
明治15年 (1882) 生、昭和28年 (1953) 没、71歳。
山形県金瓶村の農家守谷伝右衛門の三男として生まれた。本名は茂吉。
14歳の時に上京、明治43年東京帝国大学医科大学を卒業。
子規の歌集により作歌を志し、帝大在学中に伊藤左千夫に入門。卒業後は誠心科医のかたわら、 「アララギ」 の中心人物となる。
大正2年第一歌集 『赤光』 を発表、文壇・歌壇からの脚光を浴び、以降17冊の歌集を刊行。
『万葉秀歌』 などの万葉研究、随筆・歌論等著作多数。
歌風は子規の 「写生」 を拡大深化させたもの。短歌は叙情詩であるとし、そこに 「いのちのあらはれ」 を見ようという立場をとる。
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(日本女子大学大学院生 田代
一葉) |