やははだ の あつき しお に ふれも で さびしからずや みちきみ
【作 者】 あき
【歌 意】
若い女性のやわらかな肌の下を流れる熱い血汐に、触れてみようともしないで、寂しくないのですか、道を説く君よ。
【語 釈】

○やは肌==やwらかい女性の肌。
○血汐==流れる血。情熱の比ゆとして用いられる。
○みで==〜してみようともしないで。
○道==人として取るべき行い。道徳。

【鑑 賞】

『みだれ髪』 所収。
晶子自身が、
「世の道学先生たちよ、女の熱愛に触れることもしないあなた方の生活、感情を没却した生活はお寂しくないでせうか」
と解説している。
恋への情熱を隠そうともせず、挑発的にふるまう女性と、社会道徳に縛られて、一歩を踏み出せずにいる男性という、対立的な構図が浮かび上がってくる。
ただし、 「やは肌」 ということばからは、淫靡でエロチックな男女の営みというよりは、女性の若々しい肉体が誇示されているというニュアンスを感じ取る事が出来よう。
「みだれ髪」 には、
「髪五尺 ときなば水に やはらかき 少女ごころは 秘めて放たじ」
「その子二十 櫛にながるる 黒髪の おごりの春の うつくしきかな」
など、髪の美しさを言う代表作をはじめ、

「乳ぶさおさえ 神秘のとばり そとけりぬ ここなる花の 紅ぞ濃き」

など、若い肉体を高らかに歌い上げるものが多い。
この歌も、恋愛そのものを核としつつ、若さそれ自体の価値をも歌っているということなのだと思う。
なお、 「やは肌のあつき血汐にふれも見で」 という表現は薄田泣菫の詩集 『暮笛集』 の 「尼が紅」 の 「かの和肌に手をふれて」 などからの影響が指摘されている。

【補 説】

明治三十三 (1900) 年作。
『みだれ髪』 には 「臙脂紫」 中の一首として収められている。
その翌年、晶子は与謝野鉄幹と結婚しており、そのため 「君」 を鉄幹とする説がある。他にも、堺に住んでいた年長の友人河野鉄南とする説などもある。
そのような伝記的な事柄を踏まえて想像を逞しくするのもいいだろうし、それとは別次元で女性一般の歌として味わうことにも耐えられる普遍性を備えた歌だと思う。

【作者略歴】

明治十一年生まれ、昭和十七年 (1942) 没、享年六十五歳。
堺の菓子商鳳宗七の三女。堺女学校卒業。
明治三十四年、与謝野鉄幹と結婚し、処女歌集 『みだれ髪』 を出版した。
明星派の中心的な歌人として活躍し、日露戦争の際に詠んだ反戦歌 「君死にたまふこと勿れ」 や、 『新訳源氏物語』 でも知られる。

(学習院大学教授 鈴木 健一)