しら とり は かなしからずや うみあお   そらあお にも  まずただよふ
【作 者】わか やま ぼく すい
【歌 意】
あの白鳥は哀しくないのだろうか。小さな白い影は海や空の青さに染まることもなく漂うばかりであるのに。
【語 釈】

○白鳥==ここでは海近くにいる鴎などの白い海鳥のこと。
○かなしからずや== 「や」 は疑問の終助詞。哀しくないのだろうか。

【鑑 賞】

『海の声』 所収。牧水が早稲田大学に在籍していた二十代前半の作品で、明治四十年 (1907) 十二月に千葉県外房の根本で詠んだ一首とされる。
初出は 「白鳥 (ハクチョウ) は」 であったが、のちに 「白鳥 (シラトリ) は」 と改められた。
海も空も一見すると同じような青さであるが、そのニュアンスは微妙に異なったものである。言わば、海はつややかな油絵具の青、透き通ったサファイアの青であり、空は不透明なポスターカラーの青、トルコ石の青である。
海や空の青さはいずれ劣らず人々の心を強く惹きつけて止まない魅力を備えている。しかし、人々は時としてその青く美しい海や空に対して、何もかも飲み込まれてしまうのではないかという不安や恐怖を抱くこともある。
魅惑と不安に満ちた青一色の空間を、超然と漂う白い小さな鳥影はひときわ鮮烈である。
草した光景を目の当たりにした若き牧水は、当てもなく漂う孤独な白鳥の姿に対して、迷いや不安に抗いながらも創作における孤高の精神を貫き通そうとする自分自身の姿を重ね合わせていたのかもしれない。
この詩が詠まれた明治末年は、折りしも歌壇の潮流が浪漫主義的傾向から自然主義的傾向へと移行しつつある時期であった。
新旧いずれの歌風にも大いに魅力を感じながら、しかし自らの感性の純潔と正統とを信じ、真理を求めてさすらう若き歌人牧水の孤独な姿、そして彼の創作にかける悲壮な決意と自らの感性への自負がこの歌には滲み出ているように思われる。

【補 説】

なお、明治四十年十二月の冬期休暇中、千葉県南房総根本へ赴いた牧水は、ある女性と恋愛関係にあったといい、彼は翌々年一月にも同地を訪れている。この頃の作品には
「海哀し 山またかなし 酔ひ痴れし恋のひとみに あめつちもなしや」

「接吻 (クチヅ) くる われらがまへに あおあおと 海ながれたり 神よいづこに」
などといった若々しい情熱に溢れるものも少なくない。   

【作者略歴】

明治十八年 生まれ、昭和三年 (1928) 没。享年四十三歳。
宮崎県臼杵郡出身。明治三十七年早稲田大学文学科高等予科へ入学、尾上柴舟門下となる。同級に北原白秋や土岐善麿たがおり、白秋とはとくに親しかった。
美しい韻律と平明で叙情的な作品が多く、酒や旅をこよなく愛したことでも知られる。
歌集に 『海の声』 『別離』 『路上』 『砂丘』 『くろ土』 『山桜の歌』 、紀行集 『みなかみ紀行』 なそがある。

(学習院大学大学院 田中 仁)