なん となく 今年はよいこと  あるごとし  がん じつあさ   は れてかぜ なし
【作 者】いし かわ たく ぼく
【歌 意】
何となく、今年はよい事があるように思われる。元日の朝である今朝は、晴れて風がないことだよ。
【語 釈】

○ごとし==〜のようである。

【鑑 賞】

『悲しき玩具』 所収。 『創作』 明治四十四年一月号に掲載された連作 「方角」 の中の一首。明治四十三年中の作である。
助詞 「は」 によって 「今年」 をとりたてることで、昨年までは 「よい事」 に恵まれない暮らしであったことを窺わせる。
明治四十三年は、十月二十七日に長男真一を生後僅か二十四日目にして亡くすなど啄木にとって殊のほか苛酷な一年であった。
十二月三十日付の宮崎郁雨宛書簡にも 「僕は然し来年は屹度いい年だろうと思ってるよ、御幣をかつぐやうだが今年は後厄だったからなア」 と記している。
時に数え二十五歳、後厄というのは勘違いであろうが、思わず歳廻りのせいにしたくなる一年であったことは否めない。来年こそは良い年であって欲しいという痛切な願いを込めて詠出された一首である。
ほぼ同期の作、 「なんとなく明日はよき事あるごとく/思ふ心を/叱りて眠る。」 に見られる、期待が裏切られることを恐れるあまり期待してしまう自己を戒める姿勢とは異なり、うららかな元日に感じる新年への漠然とした期待がそのままに歌われている。
「何となく」 の初句は、 「何となく/今朝は少しく、わが心明るきごとし/手の爪を切る。」 、「何となく/自分を嘘のかたまりの如く思ひて/目をばつぶれる。」 などの作にも認められ、啄木が好んで用いた歌い出しと憶しい。

【補 説】

土岐善麿の影響を受けて 『一握りの砂』 で始めたいわゆる三行書きで記されているが、初出時には句読点が施されていなかった。
明治四十三には啄木が社会主義思想に接近する機となった大逆事件も起きている。

【作者略歴】

明治十九年 (1886) 生まれ、明治四十五年 (1912) 没、享年二十六歳。
岩手県日戸村の常光寺の長男として生まれる。父が渋民村の宝徳寺の住職となったため、幼少期を渋民村で過ごした。啄木が後年 「故郷」 として歌ったのは、この渋民村である。
森岡中学校在学中に金田一京介らの影響で 『明星』 を愛読するようになり、作歌・作詩を始める。
渋民小学校の代用教員を経て、北海道の地方新聞記者として道内各地を転々とした後、上京、朝日新聞社の校正係となり、朝日歌壇の選者もつとめた。
生活派短歌の先駆者というべき存在であったが、肺結核によって貧困と流離に明け暮れた短い生涯を閉じた。
歌集に 『一握りの砂』 『悲しき玩具』、詩集に 『あこがれ』 『呼子と口笛』 がある。

(慶応義塾湘南藤沢中・高等部 山本 令子)