きみ かへす あさしき いし  さくさくと  ゆきりん ご の  か のごとく ふ
【作 者】きた はら はく しゅう  
【歌 意】
君を帰す朝、君が踏みながら帰る鋪石ぬは雪が積もり、その跫音がさくさくと音を立てている。
その雪の中を帰る君に、雪よ、林檎の香のように降ってくれ。
【語 釈】
○君==あなた。 ○鋪石==道路、庭先、玄関などに敷かれる石。
○さくさくオノマトペ (擬音語) 。
【鑑 賞】

王朝の後朝 (キヌギヌ) の別れの情趣を彷彿とさせる。王朝和歌では、帰るのは男性であるが、この歌は送る立場にある男性の心情を詠うところが面白い。
「朝」 は「あさ」 と読むが、 「あした」 への響きがあり、古来、伝統的に恋歌に用いられてきた 「君」 の語も甘い雰囲気も醸し出している。
分析的にいえばこの歌は二つの文脈に分かれる。すなわち 「さくさく」 というオノマドペは 「君が帰っていく鋪石に雪が積もっている」 と 「雪よ林檎の 香のごとく降れ」 という二つの文脈を繋ぐ役割を果たしているのである。
上の句は客観的情景、下の句は主観的な情念を詠う。
後朝の残り香は未だたゆたう濃厚な匂いが、林檎のように甘酸っぱく感じられ、それが、男の情念をあからさまに示している。にもかかわらず、この歌がある種の爽やかさを失わないのは、 「さくさく」 という語が醸し出す雰囲気であり、この歌を魅力的にさせる要素であるといえよう。
この 「さくさく」 とは雪を踏む跫音でもあるが、同時に林檎を噛む音でもある。林檎を噛むことで放散される甘酸っぱい香りと、そのイメージが投影された雪のやわらかな風情。
「雪よ林檎の 香のごとく」 の表現に、愛する女性に対する一人の男の深い情念を読み取ることができる作品となっている。

【補 説】

『桐の花』 の 「春を待つ間」 中の 「雪」 の一首。 発出は 「朱欒 (ザムボア) 」 (明治四十五年七月) 。
この歌が発表された時、白秋は新妻の松下俊子との恋愛で夫から訴えられ、未決監で拘置された、いわゆる 「桐の花事件」 があった。
この 「さくさく」 というオノマトペを用いた他の作品には 「雪しろき 朝の鋪石 さくさくと 林檎かみつつ ゆくは誰が子ぞ」 ( 「朱欒 (ザムボア) 」 ) や、「監獄いでて じっと顫へて 噛む林檎 林檎さくさく 身に染みわたる」 ( 「桐の花」 ) があり、白秋にとっては馴染み深い手法であったと思われる。

【作者略歴】

明治十八年 (1885) 生まれ、昭和十七年 (1942) 没。五十七歳。
最初 「文庫」 派の新詩詩人として注目を集めるが、明治三十九年与謝野鉄幹の招きで新詩社に入社、 「明星」 へと足場を移した。
後、吉井勇その他と明治四十一年新詩社を脱退。明治四十二年、処女歌集 『邪宗門』 を刊行。新しい象徴詩の境地を開いた。官能的な作風もこの期から次第に発展していったものである。

(学習院大学大学院 谷 佳憲)