まち をゆき  どもそば を とおとき    かん せり ふゆ がまた
【作 者】木下きのした げん
【歌 意】
街を歩いていて、子供の傍を通ると、ふと青い蜜柑の甘酸っぱい香りがした。
冬がまた来るのだなあ。
【語 釈】
○香せり==香りがした。
【鑑 賞】
蜜柑という果物の持つ新鮮な季節感を香でとらえた歌である。
大正時代になると、蜜柑は大衆的な食べ物として受け入れられ、とりわけ子供達の好物であった。そのため、晩秋になって店先に登場する青い蜜柑を見るや、子供は真っ先にそれに飛びついたという。
この歌でも、街を駆け回って遊ぶ子供達と蜜柑が密接に結びついている。
彼らが蜜柑を食べながら歩いていたのか、食べ終わった後なのかはわからないが、その傍を通ると、蜜柑の甘酸っぱい香りがぷうんと漂ってくる。
その新鮮な香りによって、蜜柑が店先に並んだことを知り、作者は冬が近いことを感じ取ったのである。
そのことを 「冬がまた来る」 という口語によって大胆に表現したことで、庶民的な親しみやすさが生まれた。しかも、この言葉は 「蜜柑の香せり」 とういう文語に続くものであるが、何の違和感も持たせない。
利玄はこのように文語の中に口語を巧みに織り込みながら、新しいリズムを作り出していくのである。
また、リズムという面では、一、三、四句をそれぞれイ段の音で終わらせることで、声に出して読んだ時に歯切れにのよい、快活な調子を生み、それによって元気に駆け回る子供達の様子を連想させている。
利玄は子供をモチーフにした歌を多く詠んでおり、この歌でも子供達に対する優しい眼差しが感じられる。
【補 説】

この歌は、大正四年 (1915) 木下利玄が三十歳のとき、雑誌 「白樺」 一月号に発表されたもので、大正八年 (1918) 刊行の歌集 『紅玉』 にも収録された。
歌集では、 「子供ゐてみかんの香せり駄菓子屋の午後日のあたらぬ店の静けさ」 という一首と並べて載せられている。
しかし、この歌を解釈する際には駄菓子屋の店先である必要性はなく、独立して鑑賞されるべきであろう。

【作者略歴】

明治十九年 (1886) 岡山県生まれ、大正十四年 (1925) 没、享年四十歳。
子爵木下利恭の養嫡子となる。
歌は佐々木信綱に師事し、「心の花」 の同人になる。
武者小路実篤らと雑誌 「白樺」 を創刊した。
四四調と呼ばれる独特のリズムを採用し、大胆に口語を取り入れるところに彼の歌の特徴がある。
主な歌集に 『銀』 (大正三年) 、『紅玉』 などがある。

(日本女子大学付属中学校非常勤講師 壬生 里巳)