【作 者】 与
謝
野
鉄
幹
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【歌 意】 |
若狭の乙女・登美子、ああ、もう君はいないのか・・・・
白玉の露のようにはかなく、惜しい君の命・魂までも砕け散ってしまうというのか。 |
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【語 釈】 |
○若狭==福井県の旧国名
○しら玉==白い玉。特に、真珠。愛人・愛児にたとえる。
○あたら==惜しい、惜しくも。もったいない。もったいなくも。 |
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【鑑 賞】 |
忘れ難い女性を失った慟哭の歌である。
しら玉の君は、若狭生まれの山川登美子。 「明星」 初期から鳳晶子 (与謝野晶子) と並び称される才媛だった。
詞書に 「山川登美子のみまかれるを悲しみて詠める (明治四十二年四月) とある連作の第一首目の歌。
二人に初めての出会いは、明治三十三年の夏。来阪した鉄幹を登美子が訪ね感動的な数日を過ごした。
その秋、京都永観堂粟田山に、鉄幹は登美子・晶子とともに遊び、粟田の宿に三人で一泊する。
その冬、登美子は、一族本家の人と結婚。
二十二歳の登美子は、若き師である鉄幹への思慕を控え目な立場から、しかし激しくうたっている。
登美子にとって鉄幹は、一定の距離を置く事によって常に理想の存在となり得たのではないか。鉄幹もまた登美子に対して
「その理想を捨てて運命の犠牲となるべき不幸」 と 「明星」 第十七号に記している。
若い日の魂の交歓の記憶は、その対象を失うことでより鮮明となっていく。
「君なきか」 「登美子」 「君さへ」 と三度も畳み掛けて嘆き止まない。登美子を生み育んだ若狭もろとも、鉄幹の中で崩れ落ちる喪失感が伝わってくる。
「この君を弔ふことはみづからを弔ふことか濡れて歎かる」 も連作中の一首。
伴侶であり十一人の子供をなした晶子とは別に、大いなる 「秘めごと」 の部分で鉄幹の一部であった女性像が浮かび上がってくる。
「な告るそと古きわれに云ひしことかの大空に似たる秘めごと」 の歌も連作にある。
「秘めごと」 についに終止符が打たれ、あたり憚ることなく歎き悲しむ魂鎮めの歌として、感慨深い。 |
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【補 説】 |
初出は、明治四十二年 「常磐木」 五月号。
前年に、白秋ら新詩社脱退、 「明星」 廃刊。
三十七歳の鉄幹にとって、もろもろの喪失の中で最も大なるものが、登美子であろう。
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【作者略歴】 |
明治六年生まれ、昭和十 (1935) 年没、享年六十三歳。
京都岡崎の西本願寺派願成寺住職・与謝野礼厳 (歌人) の四男。本名寛。 明治三十八年、鉄幹の号を止めて本名に戻る。
明治二十六年、落合直文を中心とした和歌革新の結社浅香社に加入。
明治三十二年、東京新詩社設立、翌年機関紙 「明星」 を創刊。
明治三十四年、鳳晶子と結婚。
明治四十一年、浪漫主義運動の拠点 「明星」 は、百号にて廃刊。
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(横浜市立東高等学校教諭 新井 さち子) |