| 【作 者】 岡本
 かの子 | 
               
                | 【歌 意】 | 
               
                | 
                     
                      | 年毎に私の悲しみは深くなってゆくばかりだが、その悲しみのせいだろうか、私の命は、いよいよ華やいでゆくのだ。 |  | 
               
                | 【語 釈】 | 
               
                | 
                     
                      | ○年々に==年毎に。 作者はルビを振っていないが 「ねんねん」 と読んでおく。
 ○いよよ==いよいよ、ますます。
 ○なりけり==なのであるなあ。「けり」 は詠嘆を表す助動詞。
 |  | 
               
                | 【鑑 賞】 | 
               
                | 
                     
                      | 年を取るにつれて人生の憂いや悲しみも深く積もってゆき、生命力も衰弱して枯れてゆくものである。 
                        しかし、それでも悲しみが深くなればなるほど、反比例して豊かに華やぐものがあるのだ。それは命の輝きなのだ。 と、この短歌は歌い上げる。
 人生の華やぎと豊かさというものが、蓄積された悲しみから生まれるというこの発想に首肯いてしまう人も多いに違いない。
 
 作者の岡本かの子はこの短歌を作ったあと、この短歌のイメージに触発されて、小説 『老妓抄』 (昭和十三年) を書いた。
 
 主人公の老妓こと平出園子は長年の芸者勤めによって、今は悠々自適の生活である。彼女は、出入りの若い電気技師のパトロンになって、彼の夢をかなえてやろうとする。
 そこで、彼を家に住まわせて世話をするのだが、男はその正気を老妓に吸われてゆくかのように無気力になってしまう、という物語である。
 
 この歌は、その老妓が詠んだものとして小説に取り込まれている。
 老妓は次のように願っている。
 「仕事であれ、男女の間柄であれ、湿り気のない没頭した一途な姿を見たいと思う。私はそういうものを身近に見て、素直に死に度いと思う」。
 
 年を取って衰えていく人間だからこそ、生命の美しい純粋な燃焼を願う。また、その生命の燃焼をわが物としたいのだという願いである。
 この歌は、大らかで豊かな調べの魅力とともに、生命の賛歌というにふさわしいものである。
 |  | 
               
                | 【補 説】 | 
               
                | 
                     
                      | 初出は 『短歌研究』 (昭和十三年五月号) 。作者四十九歳かの子の死後、夫の岡本一平編纂による遺歌集 『歌日記』 に収録された。
 小説 『老妓抄』 に用いられたということもあって、かの子の短歌としては最も有名で、よく知られている。
 かの子の代表作と言える歌である。
 |  | 
               
                | 【作者略歴】 | 
               
                | 
                     
                      | 明治二十二年、東京青山に生まれる。昭和十四年没。享年五十歳。生家大貫家は多摩の大地主であった。早くから文学に目覚め、明治三十九年、与謝野晶子に師事して短歌を作り始める。
 四十三年、画家生の岡本一平と結婚。
 歌集 『かろきねたみ』 (大正元年) 、『愛のなやみ』 (大正七年) を出す。
 『鶴は病みき』 (昭和十年) で小説家として認められ、以後、続々と小説を発表する。
 代表作に 『老妓抄』 『母子叙情』 『生々流転』 などがある。
 |  | 
               
                | (作新学院大学非常勤講師 小林 とし子) |