あめ しげく ふり るものか きた て  なほきた せんと ふね まつよる
【作 者】  じょう たけ
【歌 意】
雨がなんと激しく降っていることか。私はこの北の果てでこの激しい雨に出会った。 ここからさらに北へ行こうと船を待っている夜、こうして雨を見ている。
【語 釈】
○雨しげく==雨が激しく。
○ものか==連語。「もの」 は、ある避けがたいさだめのような状態をいう。 「か」 は詠嘆。雨が激しく降っている、という事態に直面した自分の状況を詠嘆したもの。
○なほ==さらに ○北せん==北へ行こう。
【鑑 賞】
北へ行く、というのは、どこか寂しさを感じさせるものである。まして、作者がいるのは 「北の果て」 だという。
旅をしてきてとうとう 「北の果て」 まで辿り着いたという流離の思いがそこにある。
ところが、作者の旅はそこで終らない。今いる此処こそが 「北の果て」 だと思っているのに、さらに北へ行こうとしている。
「北の果て」 のさらに北とはいったい何処なのか。そこは 「北の果て」 という限界をもう超えてしまった世界であり、作者はその世界をめざすのである。
作者は、その世界へ赴くために船を待っている。その夜、雨が激しく降っている。それを見つめている作者――という風景がこの歌から見えてくるのだが、なんと寂寥感に満ちた映像だろうか。
いずこへ行くとも知れない作者の思いを象徴的に表すかのように激しい雨が降っているのだ。
淡々とさりげなく詠まれたような短歌だが、どこか悲壮である。
これは、旅行中に詠まれた短歌である。しかし、単なる旅行詠では終らない。人生への深い思いが詠みこまれた短歌として評価できる。
【補 説】

この短歌は、昭和二年八月、九条武子四十歳の時作られた。
年譜によれば、八月に武子は仏教婦人会の代表として北海道・樺太に巡教の旅に出ているから、その折の詠と考えられる。
雑誌 『心の花』 十月号に 「北の海の旅」 と題して発表された。武子は翌年二月に亡くなったので、最晩年の歌である。
武子は大正九年の処女歌集 『金鈴」 に見られる抒情的なロマンティスズムを主調とした歌風によって人気があったが、大正末期頃からは、ロマンティシズムを排した新しい方向を目指した。
この短歌は、その方向の一つの到達点を示しているように思える。

【作者略歴】

明治二十年、京都西本願寺に出生。 昭和三年没。享年四十一歳。
明治四十二年、男爵九鬼良致と結婚して渡欧。翌年帰国した。
仏教婦人会の本部長として社会事業や婦人運動に活躍する一方、佐々木信綱の 『心の花』 に入会して短歌を作る。
歌集 『金鈴』 (大正九年) 遺歌集 『馨染』 (昭和三年) 、『白孔雀』 (昭和四年) 、随筆集 『無憂い華』 (昭和二年) 、戯曲 『洛北の秋』 (大正十三年) などがある。

(作新学院大学非常勤講師 小林 とし子)