わり は きんあぶら を  びて  ゆらりとたか し  のちひささよ
【作 者】 まえ 夕暮ゆうぐれ
【歌 意】
強い陽射しを全身に受けて、ひまわりは丈高く輝くように咲いている。
真上に照りつけている太陽は小さく見える。
【語 釈】
○向日葵==「日回」 とも書く。よく知られているキク科一年草。アメリカ原産。鑑賞用、種は食用、油をとる。
【鑑 賞】
ひまわりが日本で広く栽培されるようになったのは、いつの頃からであろうか。今でこそ各地に観光用のひまわり畑が作られるようになったが、この一首に収められている 「向日葵畠」 の一連が作られたのは大正三年 (1914) のことであるから、現在ほどには栽培は普及していなかったであろう。
一読して西洋風の絵画が目に浮びそうな作品である。さんさんと降りそそぐ陽光のもとに、太陽にも負けぬかのような大輪の花を空に向けているひまわり。
「金の油」 はじりじりと灼けつくような強い日射しを現していると思われるが、油絵の絵の具を溶くオイルも連想させ、厚く塗り込められた絵肌 (マチエール) を感じさせる。
「ゆらりと高し」 という表現も斬新である。ひまわりは高いものでは三メートルくらいになるが、大輪を頭頂にのせて立つ姿は、ひょろちというよりやはり 「ゆらい」 であろう。雄姿である。
前田夕暮れの作品には、西洋絵画の後期印象派と共通するようなイメージのとらえ方をしたものがあり、直感的で生命力や躍動感の豊かさが感じられる。
実際にゴッホやムンクを詠み込んだ歌があったりもする。
「日のちひささよ」 には、太陽と競っているかのような向日葵の勝ち誇った姿があり、ひまわりの矜持と共に、どこかほほえましささえ感じられないだろうか。
【補 説】

前田夕暮れは、歌を修飾することよりも、不器用ながらも思ったこと感じたことを真率に詠むことを求めていたが、次第に感性や美意識を自由に表す詠みぶりとなってゆく。生涯のうちで何度も自己否定を繰り返し、変容を示すのである。
繰り返し自分の作風を壊しては再出発を図ったのであったが、この作品の十年ほど後には自由なリズムの口語作品に河っている。
そのやや前 (大正十二年) に次のようなものがある。
「うすあかい靄のかたまりルノアールの坐れる少女乳すこし赤し」

【作者略歴】
明治十六年 (1883) 神奈川県大根村 (現在秦野市) に生まれた。
父久治、母いせ。三男四女の長男で洋造と名付けれれた。
昭和二十六年 (1951) 永眠。
十六歳の頃、文学への関心を抱く。
「夕暮れ」 の筆名は西行の 「鴫立つ沢の秋の夕暮」 からとったもの。
詩、美文、小説 等を中央の雑誌へ投稿。二十一歳で尾上柴舟の門に入る。
作風は何度か変遷を繰り返す。
(短歌同人誌 「DOA」 高旨 清美)