いのちなき すな のかなしさよ さらさらと  にぎ ればゆび の あひだより
【作 者】 石川いしかわ 啄木たくぼく
【歌 意】
命のない砂を手にすくって握ると、さらさらと乾いた音おたてて、死の囁きを奏でながら指の間を落ちてゆく。
【語 釈】
○いのちなき砂==死の象徴
【鑑 賞】
歌集 『一握の砂』 の中に収められている一首である。
『一握の砂』 は 「我を愛する歌」 という章から始められているが、冒頭の十首は砂 (一首のみ 「砂」 ではなく 「大海」 という語が用いられているが) に関する歌となっており、そのうちの八首目に位置しているのがこの作品である。
「砂」 は無機質な、乾いた音を響かせて、握った指の間から落ちつづける。それは 「さらさらと」 非現実の死のささやきを奏でつつ、鳴っているのである。
「さらさらと」 という擬音語、擬態語が要となっている一首であり、その調べがすべてといってよい作品だ。
啄木はよく知られているように、禅寺に生まれ、神童と言われた子供時代を送った。のちに一家は経済的に困窮するようになるが、そのようなときも啄木は決して自棄的になるようなことはなかった。
「砂」 を歌った 「我を愛する歌」 の章も、甘い叙情にのった自己哀惜の思いが含まれている。掲出の作品も甘やかな叙情をたたえてはいるが、感傷的というよりは、無機質な砂の音が核となった、虚無的な美の漂う叙情的作品であろう。
時々刻々と滅んでいく 「砂」 の作品からは、その調べに聞き入っている作者の姿が彷彿としてくる。
【補 説】

「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる」 で始められる、いわゆる 「砂」 の歌は、はたしてどこの海辺を歌ったものかということが考えられる。
函館の大森浜を思い浮かべて作ったとされることが多いようだが、ではなぜ 「東海の」 というふうに北海道ではないような表現になっているのだろうか。
これらの歌は単なる写生の歌ではなく、日本そのものが東海の小島なのだという、作者のおおらかな考えのもとに作られたのであろう。
他に 「砂山の砂に腹這ひ/初恋の/いたみを遠くおもひ出づる日」 は歌曲にもなっている。

【作者略歴】
明治十九年 (1886) 生まれ、明治四十五年 (1912) 永眠、享年二十六歳。
岩手県南岩手郡日戸村 (現在玉山村) の曹洞宗常光寺に生まれる。父一禎は同寺住職。母カツ。
啄木は病弱であったが神童ぶりを発揮。十七歳のときに文学で身を立てるべく上京。 二十歳で帰郷。
二十一歳、渋民村 (同) で代用教員。
二十二歳、函館へ。のち札幌、小樽、釧路 と移り住む。
二十五歳、東京朝日新聞に入社。
(短歌同人誌 「DOA」 高旨 清美)