ほお ずき を くち にふくみて  らすごと  かえる くも なつあさ
【作 者】 長塚ながつか せつ
【歌 意】
鬼灯を口に含んで鳴らすように、蛙は鳴いていることだ、この夏の浅夜を。
【語 釈】
○鬼灯==ナス科の多年草。庭などに栽培される。夏に紅く丸い実がなり、子供が種を除いた袋状の皮を口に含んで鳴らして遊んだりする。
○浅夜 ==夜になって間もない頃。
【鑑 賞】
大正三年 (1914) に発表された連作 「鍼の如く」 の中の歌で、「 (五月) 三十一日、こよひもはやくいねて」 という詞書を持つ歌群の二首目である。
旅から帰ったばかりの節は、ひさびさの郷里に安らぎをおぼえている。病身を厭いつつ今夜も早々と床に入ると、耳もとに蛙の声が聴こえて来た。その声は、子供の頃に鳴らしたホオズキのきゅつきゅつという音のように、くぐもって愛らしい。おそらく小さな蛙なのだろう。
「鬼灯を口にふくみて鳴らすごと」 という比喩は、ホオズキを鳴らした経験のある者なら、なるほどと膝を打ちたくなるような絶妙さで、作者の感覚の鋭敏さがうかがわれる。
「蛙は鳴くも夏の浅夜を」 という倒置法も余韻を残して上手い。
蛙は何匹いて、どこで鳴いているのだろうか。この歌群の一首目にあたる 「厨なるながしのもとに二つ居て蛙鳴く夜を蚊帳釣りにけり」 から蛙の声が実は二つで、節の部屋から程遠からぬ台所で鳴いていることがわかる。
三首目は 「なきかはす二つの蛙ひとつ止みひとつまた止みぬ我も眠くなりぬ」 で、蛙の声が遠間になるにつれて節も眠りに誘われていく。
四首目は 「短夜の浅きがほどになく蛙ちからなくしてやめにからしも」 と蛙の声が止んだことが歌われている。
「ちからなくして」 という感じ方には、病身の節のけだるい身体感覚が投影されていよう。
【補 説】
「鍼の如く」 の中には、「白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり」 や 「垂乳根の母が釣りたる青蚊帳をすがしといねつたるみたれども」 など、よく知られた歌が含まれている。
「垂乳根の」 は、蛙の歌の前日に詠まれた歌である。
【作者略歴】
明治十二年 (1879) 生まれ、大正四年歿、享年三十六歳。
茨城県結城郡岡田村の豪農兼商家の家に生まれる。
水戸中学校に主席で入学するが神経衰弱のため退学、この頃から短歌に親しむようになった。当初は桂園調の歌を作っていたが、明治三十一年に正岡子規の 「歌よみに与ふる書」 を読んだことを契機として子規の門に入った。
以後 『馬酔木』 『アララギ』 に短歌を、『ホトトギス』 に写生文や小説を発表した。
明治四十三年には夏目漱石の推薦で東京朝日新聞に長編小説 『土』 を連載した。その傍ら郷土の農村生活改善のために尽力していたが、結核のため没した。
死の前年に発表された二百三十一首からなる連作 「鍼の如く」 は彼の代表作である。
(千葉大学助教授 鈴木 宏子)