よし かい
正墻 適處
文政元年 (1818) 〜 明治八 (1875)

欲暁渓山紫翠凝

霏微香霧壓崚?

遊人來濺傷時涙

花湿延元古帝陵
あかつき ならんとほっ するの渓山けいざん すい
たるこう 崚?りょうそうあっ
遊人ゆうじん きたそそときいた むのなみだ
はな湿うるお延元えんげん ていりょう

夜明けが近づいて、谷も山もむらさきとみどりが一つになって、たいへん美しい。
細かに降る雨のように、香しい朝霧が、けわしく重なる山々をおおっている。
訪れ来たった私は、当時の吉野の朝廷の悲運を悼む涙を抑えることができなかったが、延元の帝の御陵 (後醍醐天皇のみささぎ) 近くの花も、その思いを同じくするかのように、静かに朝の霧に濡れていた。