しょう 楠 公なんこう
元田 永孚
文政元(1818)〜明治二十四(1891)

乃父之訓銘干骨 先皇之詔耳猶熱

十年蘊結熱血腸 今日直向賊鋒裂

想辭至尊重来茲 再拝腑伏血涙垂

心同百四十三人 表志三十一字詞

かえらじと かねて思えば梓弓
    なき数に入る名をぞとどむる

以鏃代筆和涙揮 鋩迸板面光陸離

北望四條妖氛黒 賊将誰何高師直

不獲渠頭授臣頭 皇天后土鑑臣臆

成敗天也不可言 一気磅?万古存

君不見芳野廟板舊鑿痕 至今生活忠烈魂
だい おしえほねめい
先皇せんこう みことのり耳猶熱みみなおねつ

じゅう 年蘊結ねんうんけつ熱血ねっけつはらわた

今日
こんにち
ただち賊鋒ぞくほうむか って

おも そん してかさ ねてここきた
再拝さいはい ふく して血涙けつるい

こころおな じゅうするものひゃく じゅう さん にん
こころざしあら わすさん じゅう いち ことば


かえらじと かねておも えばあずさ ゆみ
     なきかず をぞとどむる


やじりもつふでなみだ してふる
きっさき板面ばんめんほとばし ってひかり りく たり

きた のかた じょうのぞ めば妖氛ようふん くら
賊将ぞくしょうたれ ぞやこうの 師直もろなお

かれこうべ ずんばしんこうべさず けん
皇天后こうてんこう しんおもいかんが みよ

成敗せいはい天也てんなり からず
いつ 磅?万ほうはくばん そん

きみ ずやよし 廟板びょうはん 旧鑿きゅうさくあと
いまいた るまで生活せいかつ忠烈ちゅうれつこん

父親の教訓は骨に刻みつけられており、先帝のお言葉は今もなお耳もとに熱く残っている。
十年間、たくわえ積んだ熱血の誠は、今日直ちに賊軍の白刃の前に、そのしぶきを挙げようとしているのである。
思えば天子の御前からおいとまを頂いて、再びここに戻り、如意倫観音菩薩の前にひれ伏して、血の涙と共に、その加護を祈るのである。
志を同じくする武将・兵卒百四十三人、その志を三十一文字にの和歌一首に表して、これを観音堂の扉に鏃を以て書き残した。
その文字は扉に刻みつけられるや、その輝かしい光を発するかのごとくであった。
戦場となるべき北方四条畷を見やれば、戦気は熟して、あやしげな気が漂っている。
賊将は高師直である。 かれが首級を得なければ、わが首を彼に与えよう。
天の神々も地の神々も何とぞこの決意をご覧下さい。 成功・失敗は天命である。
小さな存在でしかない人間のあれこれ言う余地のないことでである。この全身全霊を一点に集中した大いなる気は、この天地の間に渡り拡がって永遠に存在しつづけるであろう。
諸君、見給え、芳野山中如意輪堂の扉に記した鏃の跡を。
それは今に至るまで生き生きと活動し躍動する忠烈の魂そのものなのだ。