命が短いといわれている、あの美人のような美しさを保ちながら、それでも十日ほどの命を保ちつぢけて、桜は 昔から人々に愛されてきている。
藤原中納言成範はこの花をめでて庭に植え、桜町中納言と呼ばれた。
平忠度は不遇の身を桜花のもとに一夜 の宿を借り 「ゆきくれて木の下かげを宿とせば、花やこよひの主なるらん」 と詠み、源義家は吹く風を怨み 「吹く風
をなこその関とおもへども、道もせに散る山桜かな」 と詠んだ。
また山桜の花の散るのを見て 「さざなみや滋賀の都はあれにしを、昔ながらの山桜かな」 と詠んで昔をしのび、 九重に咲き匂う八重桜を見ては 「いにしへの奈良の都の八重桜、今日九重に匂いぬるかな」 といにしえを懐うて
詠んだ歌人もいた。
さて南朝の天子は、今いずこにおわしますのかと、その歴史をしのび、吉野山の方をながめるのであるが、路が 遙かにつづくばかりで、山を望み見るよしもないのである。
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