楠 公なんこう わか る る の
大沼 枕山
文化十五年(1818)〜明治二十四年(1891)

忠諫不行忠死耳

傳兒頼有寸心丹

賜刀併付氷三尺

身後令他賊膽寒
忠諫ちゅうれん おこな われずんばちゅう するのみ
つと うるは寸心すんしんたん あるに
とうたま わりあわ せてこおり 三尺 さんじゃく
しんん ぞく をして胆寒たんさむ からしむ

忠義の諌言が行われなければ、忠義に死するのみである。
楠公がその子正行にいろいろと教えを遺したのはその忠義の心があったからである。
かって天子より一ふりの刀を頂戴したが、その三尺の刀をこの遺訓にあわせて正行に与えたのであった。
子におくったこの三尺の刀は果たして他日、彼の死後、あの賊どもの胆を寒からしめたのであった。