こころ な り
良 寛
1758 〜 1831

よく ければ一切いっさい
もと むる ればばん きゅう
淡菜たんさい うえいや すべく
のう いささまと
ひと いて 鹿ろくとも とし
こう して村童そんどう
みみあろがん みず
こころ なり嶺上れいじょうまつ
無欲一切足

有求萬事窮

淡菜可療饑

衲衣聊纏躬

獨往伴糜鹿

高歌和村童

洗耳巌下水

可意嶺上松

(通 釈)
欲が無ければ、すべてが足りて不足ということはない。求めようとするから、万事きわまるのである。
あっさりした野菜は、飢えを癒す事が出来、ころもでも身にまとうに足りる。
独り、糜鹿をつれながら、自然にひたり、また、村の子供たちと高らかに声をあげて歌いあう。 すべて十分に楽しい事ばかりである。
岩の下には清らかな水が流れていて、俗事の汚れを洗う事が出来るし、嶺の上の松が風にゆれる音も、わが心にかなうように、すがすがしく、ここちよく聞こえてくる。

○可意==心に満足、ここちよい、の意。
○欲==人間の欲望。我欲。
○淡菜==淡白な野菜。あっさりとした野菜。
○衲衣==衲は衣。また、僧の自称。僧の衣類を表す。
○聊==まずまず、の意。
○独往==他にさまたげられず、自由に行く。
○糜鹿==糜はおおしか。おおしかと鹿と。
○高歌==声高らかに歌を歌うこと。
○村童==村の子供たち
○洗耳==堯の時、位を許由に譲ろうとしたところ、許由は汚らわしい事を聞いた、と川の水に耳を洗った古事に基づく。
○巌下水==巌の泉から流れ出る清らかな水。
○嶺上松==嶺の上にそびえる松。


(解 説)
僧良寛は故郷の越後出雲崎を出て、全国をを行脚した後、ふたたび、故郷の地を踏み、西蒲原郡国上山の五合庵に住んだ。
この頃の良寛は無欲恬淡、山水を賞し、子供たちと一緒に楽しむ生活だった。この詩は、その頃の心境を詠じたもの。
(鑑 賞)
良寛の詩には五合庵時代のものにすぐれたものが多い。この詩も、五合庵時代の、清澄な自然の中で、近所の子供たちとたわむれながら、悠々自適の生活を送っていた頃の作品。
枯淡素朴な作風の中にも、人生のことわりを悟った老僧としての感慨がよく詠じられている。
最初の第一・二句 (欲無ければ一切足り、求むる有れば万事窮す) が、当時の良寛の思想をずばりと言い切っている。