だい
夏目 漱石
慶応三 (1867) 〜 大正五 (1916)

ゆう きょ ひと いた らず

ひと してころもゆるや かなるをおぼ

たまたま かいしゅん ぷう

きたたけらん とに
幽居人不到

獨坐覺衣寛

偶解春風意

來吹竹與蘭

(通 釈)
隠遁者の詫び住まいには訪れる人とてなく、一人じっと坐っているうちに、いつしか着ている着物もゆったりとして楽に感ぜられ、心がカラリと開かれたような気がして来た。
この時はからずも、この家には私のほかに、二人の君子の居ることに気がついた。吹き渡る春風が、庭先の竹を鳴らし、蘭の香りを運んでくれたからである。

○幽居==俗世間を避けて静かなところに隠れて住むこと。俗世間を離れた静かな住まい。
○不到==訪れる人もいない。
○覚==知る、感じる、という意味。
○衣寛==着物が、ゆったりとしていること。くつろぐさまをいう。
○春風意==春風の心。


(解 説)
大正五年 (1946) 春、自ら描いた南画の画賛として作った詩である。
『漱石遺墨集』 の自筆によれば、 「閑居偶成」 とある。おそらくは、 『明暗』 執筆直前の作であろう。
松岡譲 『漱石の漢詩』 に、 「蘭竹梅菊」 の四君のうち、特に彼の題詩の興味は前二者に傾いていた」 とある。漱石は子供の頃から漢籍に通暁し、漢学でもって立つことを希望していたのであるから、漢詩を作ることは当然ではあるが、晩年における作詩の意味は、 「俗了された心持」 (久米正雄・芥川龍之介宛書簡) を洗い流すためであり、 「俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持になれる」 ( 『草枕』 ) ところにあった。
詩は、隠れ棲んで、訪れる者とてないかに思われる画中の主人公の家にも、実は竹と蘭という心の許せる二人の君子が居たことを、春風によって教えられた、と述べている。

(鑑 賞)
中国・唐代以来、蘭、竹、梅、菊は、 「四君子」 と呼ばれ、その気品の故に、南画の格好の題材とされてきたのである。これらは、人の穢腸 (ワイチョウ) (けがれた心) を払い、心を澄ませてくれるものと信じられたからである。蘭や菊の気高い香り、梅や竹の、逆境にあっても己を貫き通す点などが人格に擬せられ、特に竹は蘇東坡などの文人によって好んで描かれた。
漱石が好んで描いた蘭と竹とであるが、蘭は、蘭麝の香りといわれるように、植物の臭いの最も優れたものとされ、竹は雪を負ってもその青さを変えない。それは、隠者たるの必須の人格であり、また、それ故にこそ隠棲せざるを得ないのである。
詩中の、ということは画中の主人公は、あるいは孤高の志がいささかゆるぎ始めたのかも知れない。そこで、 「独坐」 することによって、俗了されそうになる自分を見つめ直すところに、春風が運んでくれた蘭の香りと竹の音に迷いが消えた。いわば、蘭と竹を契機として隠棲の原点に思い至り、心が安らかになった、という解釈も可能であろう。