(通 釈)
わずか一日の浅い学問であっても自分の身につけば、永遠に宝と成って残るが、逆に百年もの長い年月を経て蓄えられた大きな財産でも、学問と違って、わずかの間に灰塵に帰すということがある。
意義のある一冊の本から受ける恩徳というものは、多くの宝よりも貴重なものであり、師の一言の教訓の貴重さは、非常に高価な千金にも相当する。
○千載==千年。永遠。
○富貴==金持ちで、身分・地位の高いこと。
○一朝==わずかの間。一時。 ○一書==一冊の書物。
○恩徳==恵み。情け。 ○万玉==多くの宝。
○千金==非常に高価なこと。
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(解 説)
学問・知識の大切さ、貴重さについて、自らの体験から述べた詩である。
作詞の時期は不明。
この詩は平仄・押韻とも規格に外れているので (真韻と侵韻は通常通韻しないが、古くは例があるので、一応押韻しているものとしておく) 、本体は絶句と見なし難い。したがって、参考詩として掲載することにした。
(備 考)
夢窓の生き方が如実に表れたのが建武三年 (1336) の南北朝の戦争であった。
夢想に帰依して、仏弟子となるほどであった後醍醐天皇が吉野に追われ、その政的足利尊氏の天下となったのである。
この時、夢窓は、京都の臨川寺に身をひそめ、尊氏の追及を覚悟したのであったが、逆に尊氏は師弟の礼をもって夢窓を迎えたのであった。
その後、延元四年 (1339) に後醍醐天皇が崩ずると
「雲よりも 高きところに 出でて見よ なにとて月を へだてやはする」
の歌を詠み、尊氏に菩提を弔うことを勧めた。この勧めに随い、尊氏は天竜寺を建立したのである。
このように夢窓は、物事に対して情に流されぬ冷静な判断力をもっていたのである。 |