しゃ ゆう しょう しゅう
福沢 諭吉
1834 〜 1901

こう いん ごとじゅう しゅん

たれ らんとう ねん ふう つら きを

こん しょう どう あい かい するのとも

だん がん えん しょ みしひと
光陰如矢十餘春

誰識當年風雨辛

今夜小堂相會友

彈丸煙裏讀書人

(通 釈)
光陰矢のごとし、とは全くよく言ったものだ。もう十年も経ってしまったとは信じられぬほどである。
鉄砲洲にいた時の艱苦のさまを、いったい、誰が知っているであろうか。
今夜、この小部屋で久しぶりに会う諸君は、まさにあのころ、弾丸と硝煙の中でともに勉強をした人たちばかりである。

○当年==当時。あのころ。
○風雨==艱苦のたとえ。
○弾丸煙裏==諭吉の塾は、明治元年まで江戸鉄砲洲にあった。折からの戊辰戦争の最中も、学問を怠らなかった、ということである。


(解 説)
明治初期の作。慶応義塾の出発点ともなった、江戸鉄砲洲の中津藩中屋敷で蘭学を教えていたころの門下生と一夜歓談したときのことを写し、往時を懐古する。
(鑑 賞)
戊辰戦争の混乱の最中にともに学んだ人々との再会である。そうした時代にも怠らず勉学に励んだ弟子達に、諭吉は、とくに懐かしさを覚え、同時に、塾を開いた若かりしころの自分の意気込みを懐かしく回想するのである。
結句はまことに名調子。満々たる覇気と自負とを詠いあげている。