くも
大窪 詩仏

きり けむり また あめ たり

ばく ばく さらふん ぷん

しゅ にしてかぜ こって

ってぜん ざん いつ たいくも
似霧似煙還似雨

霏霏漠漠更紛粉

須臾風起吹將去

去作前山一帶雲

(通 釈)
霧のようでもあり、煙のようでもあり、また、雨のようでもある。
ちらちらと、またいっぱいに広がり、さらに、乱れて立ち込こめる。
しばらくして、一陣の風が吹いてこの物を持ち去った後には、前山一帯の雲となってたなびいている。

○霏霏==雨や雪が細かく降りしきる様子。
○漠漠==連なって降り、薄暗い様子。
○紛粉==乱れ降るさま。  ○須臾==しばらく。少しの間。


(解 説)
この詩は西へ旅する途中、箱根山中で雲を見て作った詩である。
詩仏は、しばしば諸国を旅行し、その旅行中に詠った詩をまとめて、 『西遊詩草』 『北遊詩草』 『再北遊詩草』 などの詩集を編んでいる。
(鑑 賞)
雲と題しながら、雲は最後に現れる。起句で、霧でもなく、煙でもなく、また、雨でもないもの、そして、それらに似たものと表現し、承句では、その状態を畳字 (同じ文字を重ねて使用すること) を使って 「霏霏」 「漠漠」 「紛粉」 とたたみかけ、効果的に表現している。 一種の謎かけをして、後半でこのもやもやを風で吹き飛ばし、正体を現す。
市川寛斎は、詩仏の 『詩聖堂詩集』 に寄せた序文で 「(詩仏は) 北に信越に遊び、西に京摂に渉 (ワタ) る。その間の名山諸勝、足跡の到る所、題詠幾 (ホトンド)(アマネ) し、みな奇を捜 (サグ) り、怪を抉 (エグ) りて、至妙に造詣す。蓋 (ケダ) し、山川霊秀の気、その業を助成する者なり』 と記し、詩仏の詩を評しているが、この詩も、この評のとおりである。