はな し む
福沢 諭吉
1834 〜 1901

はん せいこう しん

いく たびはるむかまた はるおく

せつ ぶつそう そう としてとど むれども まず

はな しむひとしもいただ くのひと
半生行路苦辛身

幾度迎春還送春

節物怱怱留不止

惜花人是戴霜人

(通 釈)
来し方を振り返ってみれば、ただがむしゃらに働いてきただけであった。
その間に、いったい何回、春が巡ってきたことであろうか。
その春の景色を楽しむ暇とてないまま、季節はあわただしく移り変わってしまい、引き留める術もない。
春を楽しむこともなく生きてきた時間を惜しんではみるものの、老境に至らなければ、その大切さに気づくものでもなかろう。
皮肉なことに、いま、花を賞で惜しむ身はすでに白髪の翁になっているのだ。

○行路==人生の行路。
○迎春還送春==春は、花の咲く季節である。また、それとともに、年齢も加えてゆくのである。
○節物==四季折々の景色。ここでは、春の花の咲く季節のこと。
○怱怱==あわただしいさま。
○留==引き留めること。
○花==梅であろうか、桜であろうか、いずれにしても、春の花をさしている。
○戴霜人==老人のこと。霜とはm頭髪に白毛の混じることである。


(解 説)
老境に至って、初めてがむしゃらに生きてきた人生を振り返り、季節の移り変わりにすら無関心でなければならなかった自分の青春時代を惜しみ、かつ、東京に至らなければ、若いときの時間の大切さに気づくものではなかろう、と自らを慰めている詩。
(鑑 賞)
人生の花は、青春である。その青春時代を惜しむのは、決まって老人である。
かって、初唐の詩人劉希夷 (リュウキイ) は白頭を悲しむ翁に代わって、 「今年花落ちて顔色改まり、明年花開いて復誰か在る」 と詠ったのであるが、結句にその趣なしとしない。
諭吉は、白頭を悲しむのに余人を要さず、自ら悲しんでいるのである。あわただしく過ぎてゆく時間の無常と、それに気づくには半死の老人でなければならぬ皮肉とを。