じょ さく
高 適
? 〜 765


りょ かんかん とう ひとねむ らず

かく しん なに ごとうたせい ぜん

きょう こん せん おも

そう びん みょう ちょう また いち ねん
旅館寒燈獨不眠

客心何事轉悽然

故郷今夜思千里

霜鬢明朝又一年

(通 釈)
わびしい旅館の一室、ものさびしい灯火の下で、独り寝つかれない。
旅の愁いはいったいどうぢて、こんなにもいや増すのであろうか。
今夜は大晦日、故郷では家族の者達が、遠く旅に出ている私のことを思っていることであろう。
夜が明けると、白髪の老いの身にまた一つ年を取るのだ。

○除夜==大晦日の夜。 ○寒燈==もの寂しい灯火。
○客心==旅に出ている者の心。客は旅人。ここでは作者を指す。
○何事==どうしてか、自問自答している
○轉==いよいよ。いっそう。
○悽然==ものさびしいこと。
○思千里==思うの主語を作者とするのと、故郷の人とするのと二通りある。作者とすれば 「私は千里も離れた故郷のことを今夜思っている」 と倒装になる。しかし、ここは、この語序の通り、 「故郷の人が千里も離れた私を思っているだろう」 とするほうが味わいが深いようだ。その意味を明瞭に表すため、 「千里を思うならん」 と読む読み方もある。しかし、わざわざ推量の語を用いないでもよいので、読みとしては前述のように 「千里を思う」 としておく。
○霜鬢==白髪のこと。鬢は耳ぎわの髪の毛を言うが、ここでは髪全体を意味する。


(解 説)
この詩は旅先で大晦日を迎え、故郷を偲び、白髪の身を悲しんだものである。
(鑑 賞)
旅の身で大晦日を迎える、これは、人生の晩年にさしかかる年齢になっていれば、その愁いは言うをまたない。寒々しい旅籠の灯の下で、じっと愁いに沈む作者の姿が、ありありと迫ってくる思いだ。
第三句の意味を、今宵故郷では千里離れた私のことを思っていてくれるだろう、と取るのが屈折して味わい深い。
第四句、明朝になるとまた一つ年をとり、鬢の白毛が増える、というのは、正月が来て年をとる “数え年” であることと関連する。今は日本では満年齢になったが (昭和二十五年から) 、中国では数え年である。一夜明ければまた一つ年を取ると思えば、愁いもいや増すのである。