しょ せいつき
中江 藤樹
1608 〜 1648


せい ふう ちてえん しょわす

めい げつ てんあた って じん

どう ぐう ぜん きょうじょう するところ

らず らずてい ぎょうたみ
清風滿座忘炎暑

明月當天絶世塵

同志偶然乘興處

不知不識帝堯民

(通 釈)
すがすがしい風が座席に吹きわたり、昼の焼けるような暑さも忘れてしまう。
明るく澄んだ月が天中に輝いて、世俗の塵や汚れをすっかり絶ち切って清らかである。
志を同じくしている者たちが、思いがけずに打ち興じて月見をしていると、知らず知らず、古代の聖王帝堯時代の民のように素朴で清らかな心になるのである。

○清風==すがすがしい風。
○炎暑==真夏の焼けるような暑さ。
○明月==曇りがなく明るく澄んだ月。 「明月」 には、十五夜の満月の意もあるが、ここはこの意にとらわれる必要はない。
○世塵==この世の中の汚れたちり。
○同志==同じ志を持つ人の意であるが、ここは門人を親しんでこのように呼んだ。
○帝堯民== 「帝堯」 は中国太古の伝説上の聖王。 『尚書』 や 『史記』 にその伝説が多く見られる。
はじめ陶に封ぜられ、後に唐に封ぜられたので帝堯陶唐氏といわれる。
『十八史略』 には 「その仁は天の如く、その知は神の如く、これに就けば日の如く、これを望めば雲の如し」 とある。
その治世のもと天下は大平であり、人民はよい心の人ばかりであったという。
ここは、帝堯の民のように何の邪心もなく、この清らかな境地を楽しむことをいっているのである。


(解 説)
この詩の題は 「戊子の夏、諸生と月を見ての偶成」 と付けられている。この題名から、慶安元年戊子 (1648) の夏、門人達と月見をし、そのとき、たまたま出来た詩であることがわかる。
藤樹は学徳が高かったのみならず、教育者としてもまた優れていた。諄々として教え、大野了佐に医学を授けるのに、その精魂を尽くしたことは美談として残っている。
また、藤樹の風教と徳化とは深く田夫野人にまで及び、正直な馬子の美談が熊沢蕃山入門の機縁となったということである。
このような藤樹であるから、門人として入門を希望する者が絶えなかったという。
この門人達と月を見ての詩であるが、藤樹がこの年に亡くなっている事を思えば、その感慨もまたひとしおのものがある。
(鑑 賞)
李白は 「銭の買うを用いず」 と詠い、
蘇東坡は 「江上の清風と山間の明月とは、耳これを得て声をなし、目これに会いて色をなす。これを取れども禁ずるなく、これを用うれども竭きず」 という。
座いっぱいの清風と、頭上に輝く月の光を我が物とて、世の憂さ汚さを離れ去り、超然として、あたかも太古の民となったかのような澄み切った心である。そこに虚飾を去って純粋を尚ぶ藤樹先生の教訓が滲み出るのである。