おけ はざ
大田 錦城
1765 〜 1825


こう げん いにしえとむろ ふんまえ

たたか ってしょう おごなんまった きを

かい ふう あめ いてひる やみごと

きょう へいてん よりくだ るかと
荒原弔古古墳前

戰克將驕何得全

怪風吹雨晝如晦

驚破奇兵降自天

(通 釈)
今、荒れ果てた原野の古墳の前にたたずみ、当時を弔う。
ここで、今川の軍勢は、勝利に酔い、武将たちは驕りたかぶっていたので、どして戦いを全うすることが出来ようか。
折から、怪しい風が吹き出して、一天にわかに掻き曇り、日中であるのに暗くなった。それに乗じて、織田の奇兵が攻め、今川の軍はあたかも天から兵が降ってきたかと驚いて、ついに敗北してしまったのである。

○荒原==荒れた原野。
○古墳==東海道沿いの有松絞で有名な有松町の東方1キロメートルに、今川義元の戦死地と伝えられる高さ40メートルくらいの丘がある。ここではその丘を指す。
○戦克将驕== 『史記』 の 「戦勝ちて将驕り卒惰る者は敗る」 (項羽本紀) の部分を踏んでいる。
○晦==暗くてよくわからないこと。
○驚破==驚かす。
○奇兵==奇策をもって敵の不意をついて襲う兵。


(解 説)
桶狭間の古戦場を通って、その感慨を述べた詩である。桶狭間は愛知県豊橋市内にあり、旧尾張と三河との境界の近くに位置する。永禄三年 (1560) 五月、信長が、京都へと大軍を進める今川義元の虚を突き、これを急襲して打ち破った古戦場である。
この戦いにより、駿河の今川軍は京への夢を断たれ、逆に信長はこの勝利をきっかけに、天下統一への道を進んでゆく。
この戦い、今川勢は総勢三万、織田勢はわずか三千余人だったといおわれる。
(鑑 賞)
荒れた原野の古い塚の前にたたずむと、思いは当時の信長勢の奇襲の情景へと馳せ巡る。
後半、昼というのに、折からの暴風雨の為、暗くなった中を、信長勢が、義元目指して駆け降りていくさまが、あたかも眼前に繰り広げられたかのように、迫力ある筆到で描かれる。
荒原、古墳、怪風、驚破と用語も吟味され、古戦場を弔う詩の傑作といえよう。