きん
杜 秋 娘
820 頃


きみすす

   しむなかきん

きみすす

  すべか らく しむべししょう ねんとき

はな ひら いて るに えなば

  ただ ちにすべか らく るべし

はな きを って

  むな しくえだ かれ
勸君莫惜金縷衣

勸君須惜少年時

花開堪折直須折

莫待無花空折枝

(通 釈)
あなたにお勧めします。どうぞ金糸で織った衣服など愛惜なさらないで。
どうぞわたくしの若く美しい時を惜しんでくださいませ。
人生の花開き、手折りごろになったら、すぐに手折ってくださいませ。人生の花時を逸してから、むだに枝を折ろうなどとなさいますな。

○金縷衣==黄金の糸で織った高価な衣服。
○少年時==年の若いとき。 「少年」 は男にも女にも用い、年齢の範囲も今使っている意味よりもひろい。
○花開堪折云々==花が咲いて折り取れるようになったら、すぐに折り取れ。
○莫待無花空折枝==盛りを過ぎてからではだめですよ、の意。


(解 説)
この詩は 『楽府詩集』 によると楽府の近代曲辞に分類される。この詩の作者については、 『楽府詩集』 では李リの作とし、 『全唐詩』 は無名氏とし、 『唐詩三百首』 は杜秋娘 (ト シュウ ジョウ)の作とする。詩意から見て杜秋娘の作とするのがふさわしいようである。
(鑑 賞)
この詩を、若いときに努力しておかないと、年老いてから悲しまねばならぬ、という、朱熹の 「偶成」 のような勧学の詩と取る人がいるが、そうではない。
若い盛りの時に愛してちょうだい、という愛の歌なのである。いかにも妓女の作りそうななまめかしい詩なのである。 勉強しろ、とは反対に、若い時にこそ悔いなく遊べ、楽しめ、というのである。
前半は対偶表現を用い、全体に素朴な詠いぶりのうちに、民歌風の艶冶な味を出している。中にはおのずから、盛りを過ぎた女性の悲傷が蔵されており、なかなか味わい深いものがある。六朝の 「子夜歌」 などの風を受け継いで深味を添えた佳作といえよう。