| (通 釈)ねやの中の若妻は、何の愁いもない。ある春の日、お化粧を念入りにして、美しい二階に上り、ふと路のほとりの柳が青々としているのを見て、急に夫が恋しくなり、夫に出征して手柄をたてて大名になって、と勧めたことを後悔している。
 
 
               
                | ○閨==女性の部屋。○少婦==若妻のこと。
 ○翠楼==婦人の住居を形容したいい方。一説に青楼、つまり花柳街を意味するとするが、ここではとらない。
 ○陌==道。 ○頭==ほとり。 ○夫壻==夫。
 ○封侯==大名になること。
 |  (解 説)
 夫の出征している留守に、空閨を守る若い人妻が、柳を見て、夫への思いにかられた様を詠じた詩である。
 (鑑 賞)
 王昌齢は 「閨 怨」 のような詩を最も得意としている。前半の二句はおよそ 「閨 怨」 らしくない。 「閨 怨」 詩とは愁いに沈むとか、泣き濡れた女性を描くのが一般的であるはずだ。ところが、 
            「愁いを知らず」 とこれを逆手にとった言い方をしているのが、この詩である。ここがこの詩のポイントである。
 承句では、 「翠楼」 という語によって、この若妻が、金持ち階級であることが示される。その若妻は、春のうらうらした日に、念入りに化粧し、うきうきと二階に上って行く。何をしに行くのかというと、二階の窓から、顔をチラチラ出し、下を通る若者達の関心を引こうとしている。
 「若妻」 「春日」 「翠楼」 などの語句からしてなまめかしさが漂う詩であり、全く閨 怨の影はどこにもない。
 ところが、後半に入って、場面ががらりと変わる。ふと柳の枝が目に入った。そこで出征している夫のことを思い出す。柳は別れのシンボルである。去年の春の今頃、大名になってちょうだいと送り出したのであったが、今となっては後悔しているのである。そばに居て欲しかった・・・という甘い感傷、心のうずきが詠われている。この転換が大変面白い。閨怨の傑作の名に恥じない。
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