よう ろう にて しん ぜんおく
王 昌 齢
? 〜 755?


かん こうつらな って よる

へい めい かくおく れば ざん なり

らく ようしん ゆう あい わば

いつ ぺんひょう しん ぎょく
寒雨連江夜入呉

平明送客楚山孤

洛陽親友如相問

一片氷心在玉壺

(通 釈)
寒々とした雨が揚子江に降りそそぐ中を、夜になってから呉の地へやって来た。
明け方に、友人を見送ると、夜来の雨もやんで、朝もやの晴れゆく中にポツンと楚の山が見える。
洛陽の友人がもし、王昌齢はどうしているか、とたずねたら、彼の心は一片の澄み切った氷が玉壺の中にあるようだ、といってくれ。

○芙蓉楼==潤州 (江蘇省の鎮江) の西北隅にあって、北に長江 (揚子江) を望む。
○辛漸==王昌齢の友人であるが、事績がはっきりしない。
○寒雨連江==寒々とした雲がたち込め、雨が降りそそいで、天と水の区別のつかないさま。
○入呉==@王昌齢と辛漸が呉 (つまり鎮江の芙蓉楼) にやって来たとする説と、A雨が呉へと降ってくるという説、B江水が呉に流れ入るとする説 がある。ここでは@をとる。
○平明==明け方。ものの弁別のできる時間。
○楚山孤==楚の山がポツンと見える。
○一片氷心==一片のすきとおった氷のような心。
○玉壺==白玉で作った壺。


(解 説)
この詩は王昌齢が江寧県 (南京) の丞の時、芙蓉楼で、洛陽に帰る友人の辛漸を送別したもの。
(鑑 賞)
前半の二句は周防別の情景。 「寒雨」 という語が、まず、全体の雰囲気を支配する。寒々とした送別の情景。
翌朝は、雨が上がって、日の出る頃には朝もやの中から楚の山が見えてくる。楚の山と長江の対岸の地方、つまり北を見ることになる。
東から日が出て、その光に照らされて、北の山がしだいに姿を表すのである。
「楚山孤」 といったのが、起句と呼応する。山がポツンと見える、というのは、友を送る作者の心の表象でもある。
前半二句は、寒々とし、またさえざえとした雰囲気の寂寥感。これだけのことを詠っておいて、後半の二句の、深い味わいを導き出す用意をする。
さて、後半が実に素晴らしい。辛漸は、これから舟に乗って長江を横切り、運河を北へ進んで洛陽へ行く。洛陽には王昌齢の友達も大勢居る。すると、辛漸が洛陽に行けば、当然、 「王昌齢はどうしている」 と聞かれることだろう。 「王昌齢は左遷されて、江南の地でさぞくさっているだろうな」 といって聞かれることだろう。 「だが、おあいにくさま、わたしの心は、玉の壺の中に入っている氷のように、澄みきった心境だよ。そう答えておくれ」 と。
玉壺の氷とは、三百年ほど先輩の詩人鮑照の句であり、これは 「清らかさ」 という抽象的な概念を、 「玉壺の氷」 という具体的なもので表してみせた、一つの発明なのだが、王昌齢は、それをさらに、心境の清澄さに用いた。また一つの工夫であり、表現の進歩である。
ところで、結句の意味は、 「おれは少しもくさってなんかいないぞ、澄みきった心境さ」 と、悟ったような言いぶりなのだが、実は、その裏に秘められた作者の悲しみ、洛陽へ帰りたいという思いを、読者は感じ取ることが出来る。
結句の、スパッとした、しゃれた表現、そこに漂う悲哀感、景と情との渾然とした味わい、まさに絶唱というべき作である。