ちく かん
王 維
盛唐 (699 ? 〜 761)


ひとゆう こううち

だん きん また ちょう しょう

しん りん ひと らず

めい げつ たってあい らす
獨坐幽篁裏

彈琴復長嘯

深林人不知

明月來相照

(通 釈)
奥深くもの静かな竹薮の中に、私はただひとり坐して、琴を弾いたり、また声を長く引いて詩をうたったりしている。
深い林のこととて誰も知らないが、天井の明月だけは、この林の奥まで月光を差し込んで、私を照らしてくれている。

○竹里館==竹林の中にある離れ座敷の名。王維の所有になる?川荘 (モウセンソウ) の中にある二十景の一つ。
○幽篁裏==奥深く静かな竹薮の中。
○長嘯== 「嘯」 はウソブクといい、口をすぼめて声を出すことであるが、ここは、口をすぼめて声を長く引いて詩をうたうこと。
○深林人不知==琴を弾いたり、詩をうたったりする深林の中の楽しさを誰も知らない。明月だけが、この楽しさを知っている。


(解 説)
「竹里館」 は王維の別荘?川荘 (モウセンソウ) の中の名所の一つで、友人の裴迪 (ハイテキ) と唱和した詩集 「?川集」 (モウセンシュウ) (各二十首ずつ、計四十首ある) に収められている。
人里離れた竹林の奥の自然の楽しさをうたった詩である。
(鑑 賞)
この詩について漱石は 『草枕』 の中で 「うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。・・・・只二十字のうちに優に別乾坤を建立している」 と述べている。確かに、ここに描かれているのは、東洋的な精神の世界であろう。
人知れぬ竹の林の奥深く、ひとり静かに琴を奏でる。やがてそこへ月がさしのぼる。まさに高尚な境地である。忙しい二十世紀の人間にとって、これはまた、なんと慕わしい境地であることか。
竹の林で超俗の遊びをしたのは、三世紀中ほどの竹林の七賢に、その先例を求めることができる。
彼らは利害得失の渦巻く世間を離れて、郊外の竹林で、酒を飲み、琴を弾いて清遊した。稜々たる反俗の精神と、悠々たる高尚の志、それゆえに、後世その境地を慕う者が絶えないのである。
この静かな世界の中に、その先人を襲う倣然たる姿を見なければならない。