さん ちゅうつき
藪 孤山
1735 〜 1802


おどろとう ざん やま また やま

さん なん さん ぼく いく ちょうやま

さん くせどやま きず

さん げつ やま より でてまた やま
驚見東山山又山

山南山北幾重山

山路盡行山不盡

山月出山又入山

(通 釈)
東山の向こうに山また山が聳えているのを見て驚く。さらに山の南側にも、そして北側も幾重にも山が重なり合って聳えている。
この山に登るため、山道を進んで行くと、山道は尽きてしまうけれども、山は尽きることなく、まだ多くの山々が聳えている。
山で望む月はというと、山の端から出て、また山の端にしずんでいく。本当に奥深い山である。

○東山==東方の山。
○幾重の山==たくさん重なり合った山。
○山路==山道。   ○山月==山の上に出る月。


(解 説)
山登りに行き、その山があまりにも奥深いことに驚いて、山中の月を素材に加えて、その驚きを詠じたもの。
作詩の場所について二つの説がある。孤山の住んだ熊本の東側は肥後台地、九州山脈が走っているので、ここだとする説と、もう一つは京都東山とする説である。京都の東山は三十六峰あり、これまた奥深い山である。孤山は江戸遊学の帰途、京都で三年間遊んでいたので、この説が出たのであろう。
(鑑 賞)
二十八字中、実に十一字が 「山」 の字である。近体詩の平仄や同じ文字はなるべく避けるという修辞上の約束も無視して、わざと十一字も山の字をたたみかけたのは、山の深いさまを率直に表現したのであろう。
素朴な感動には技巧は要らない。こうも 「山」 をたたみかけられると、読者はあっけに取られて、なるほどと得心する。李白の 「一杯一杯まや一杯」 と通ずる趣が感ぜられる。