おう どう ちゅう
榎本 武揚
1836 〜 1908


鮮血せんけつ あととどきゅう 戦袍せんぽう

そう いつ して なんごう なる

しょう いん りょううご しゅうみち

白雪はくせつ てん かってちょう かい たか たか
鮮血留痕舊戰袍

壯圖一躓気何豪

松陰凉動羽州道

白雪懸天鳥海高

(通 釈)
囚われの身となったいまでは、既に過去のももとなった軍服には、赤い血の痕が生々しくついている。
北海道に共和国を樹立せんとした雄図は挫折したが、私の心は少しも挫けてはいない。それどころか、むしろ、意気は壮んである。
囚われて押送される夏の出羽路の、しばし憩う松の木陰に、サッと涼しい風が吹く。見上げれば、頂上の白雪が中天にかかるかと見える、鳥海山が高く聳えている。

○鮮血==真っ赤な血。
○旧戦袍==いまでは過去のものとなった軍服。
○壮図==諸藩の没落した士族を収容して、北海道に共和国を建設しようとした計画。
○躓==つまずくこと。ここでは北海道での共和国建設の計画が挫折したことをいう。
○松陰==松の木陰。
○凉動== 「凉」 は 「涼」 の俗字。 「涼動」 とは涼風が吹くの意。
○羽州==出羽の国、現在の秋田県と山形県に当る。
○懸天==白雪が、中天に懸かって見えること。
○鳥海==鳥海山。出羽富士と称される。


(解 説)
五稜郭の戦争に破れて投降した榎本武揚は、陸路東京に護送された後、獄中にあって、紙墨も満足に入手できぬ中で作られた。
不運にも戦いに敗れはしたが、自らの信念には少しの恥じる所もなく、いまは、むしろ、夏日の涼風のようにすがすがしい気分である、と囚われの身になりながら、意気沮喪するどころか、誇らしげでさえある。
(鑑 賞)
同志を糾合して北海道函館の五稜郭に拠り、共和国を樹立してその総裁になった武揚であったが、今は敗軍の将として、衣服を改める閑もなく、東京に護送される身の上である。 しかし、意気沮喪するところのないのは流石である。
転・結 の二区は、直前に激戦を経験したとは思われぬほどに心穏やかで、太平の世の文人が、風景の描写を楽しむ風情すら感ぜられる。
鳥海山を仰ぎ見た作者の心中には、どのような思いが去来したのであろうか。