こん ごう ざん
山岡 鉄舟
1836 〜 1888


いつ ぺん赤心せきしん 報国ほうこくじょう

せん しゅうせつ いまいた るまできよ

金剛こんごう さん じょうほとり

くじ たり ろう ひゃく まんへい
一片赤心報國情

千秋節義到今清

金剛山下孤城畔

挫得虎狼百萬兵

(通 釈)
ささやかとはいえ篤い真心、国家のためにこそ一命を擲って働こうとする情熱、それゆえにこそ、楠公の不変の忠義は、今日に至るまで永く伝えられて、忠臣の名は汚されないのである。
金剛山のふもとに孤立する砦に拠って寡よく衆に敵し、あの百万と号する強兵をよくも打ち破ったものである。

○一片赤心==ささやかではあるが、極めて篤い真心。
○千秋==永遠の。 ○畔==かたわら、そば。
○挫==打ち破ること。
○得==できる、というほどの意。
○虎狼==暴虐で猛々しいことをいう。


(解 説)
金剛山は、奈良県と大阪府の境にあり、現在は金剛生駒国定公園の一部となっている。
その金剛山の山腹に楠木正成の築いた国見・赤坂・千早の諸城址がある。金剛山を見上げて、楠公の忠義を追懐し、自らの心情を重ね合わせた詩である。
(鑑 賞)
幕末の頃は、楠木正成に代表される 「忠臣」 や 「節義」 といったものを詠じた詩が多い。それだけに、毀誉褒貶の定まらない時代に生きた人々の苦しい心中を垣間見る思いがする。
特に、旧幕臣であった鉄舟にとっては、明治政府に出仕することで、人の批判を数々受けたのであるが、その批判に対しては、すでに述べたように、 「朝廷への忠の中に徳川への忠がある」 と反論、徳川体制から王政復古になって、維新体制の中で生きる自分を律した。
詠史、あるいは懐古と見えても、やはり、己と二重写しにしているところが読み取れる詩である。