ぐう せい
新島 襄
1843〜1890


やま ればたか きこと たり

うみ ればひろ きことよう よう たり

あじわ たりぞう みょう なるを

しょう しん すこ しく発揚はつよう
看山高巍巍

觀海闊洋洋

味得造化妙

小心少發揚

(通 釈)
山を見れば、どこまでも高く、海を見れば、広大無辺で広々として限りがない。大自然の素晴らしさを心ゆくまで味わえば、人もまた、山のように高く、海のように広々とした心を持つべきことに気づき、小さなことに拘っていた私の心も、少しは活気を取り戻し、大きくなったような気がしてくる。

○巍巍==山の高いさまを形容する。
○闊==雄大なこと。
○洋洋==ゆったりと、のびのびしているさま。
○造化==万物を創り出した自然界の理。
○妙==すぐれていること。
○小心==小さいことにこだわる、こせこせした心。
○発揚==意気があがること。


(解 説)
自然の造形を見て感じたままを詠じた詩。
心挫けた時、高く聳える山や、広々とした海を見れば、自然の偉大さに比べて、人間の存在が小さなことがわかり、また、その人間の営みの小ささも痛感され、それにつれて、少しずつ心がほぐれて、元気が出てくる、ということを詠じている。
(鑑 賞)
起句と承句は、素朴で明快な対句である。おそらくは、巧まずして出来た句であろう。その素直さが、転句を生かしている。
大自然の前に、虚心に向かい合えば、人間の行為がいかに小さな、取るに足らぬものであるかを痛感させられるのは、新島襄一人ではあるまい。いかにも教育者である新島らしく、謙虚に、しかも力を秘めて喝破する趣が感ぜられる。