よし あそ
菅 茶山
1748〜1827


一目いちもく せん しゅう はな ことごとひら

満前まんぜん ただ はく 皚々がいがい

ちかじん けどもところ らず

こえ香雲こううん だん よりきた
一目千秋花盡開

滿前唯見白皚皚

近聞人語不知處

聲自香雲團裏來

(通 釈)
この吉野山に来て見ると、 「一目千本」 といわれるように、多くの桜の木が満開の花をつけ、目の前はただ雪におおわれたように真っ白である。
ふと人の話し声が聞こえてくるが、さて、どこにいるのか見当がつかない。それは香しい雲の中から出てくるのである。

○一目千秋==桜の木の多い状態を示す。
吉野山には、役行者によって桜が神木とされて以来、多くの信者によって献木され、下の千本・中の千本・奥の千本などの名所が生まれ、それを見る 「一目千本」 といわれる所もある。ここでは、どの千本と特定せず全体を一目に千株も見えるほど桜の木が多いといっているのである。
○満前==前方一面に。満地と同じように用いる。
○皚皚==桜の花が霜や雪のように白いこと。
○人語==人の話し声
○香雲==香しい雲。満開の桜の花をいう。
○団裏==かたまりの中。


(解 説)
春の桜の盛りの時に吉野を訪れ、その見事な景色に動かされての作。茶山が、晩年、大和を旅した時の作品である。
(鑑 賞)
吉野の花見を詠ったものとしてよく知られる作である。満開の花を雪に見立て、また、雲に見立て、その盛大なさまを描く。 花に酔い、酒に酔い、むせ返るような春景色を見事にとらえた。
転句は王維の 「鹿柴」 の 「但人語の響きを聞く」 より脱化しているが、こちらは空山の静けさとは正反対に、花見の賑わいを詠う。近いところで騒いでいるのだが、花の雲の中に埋まって見えないのである。向こうの人たちも、さぞ、花見酒に酔っていることだろう。