せい
良 寛
1758 〜 1831


あめ くも れてまた

こころ きよ ければ遍界へんかい 物皆ものみな きよ

てて閑人かんじん

はじ めてつきはな とに せいおく
雨晴雲晴氣復晴

心清遍界物皆清

捐身棄世爲閑人

初月與花送餘生

(通 釈)
雨が上がり、雲も切れて遠のき、晴れ上がったので大気までもがさっぱりとした。
心すがすがしければ、世の中のものすべてがすがすがしく感ぜられる。
いま、私は、この身も、この浮世も捨てて、閑な人間となって、初めて月と花とを理解することができる。この月と花を相手に余生を送ることにしよう。

○遍界==世の中。
○閑人==ひまな人。


(解 説)
「余生」 とは、人生の盛りを過ぎた後の生活という意味であるが、ここでは、隠棲して生活することである。
良寛は、四十七歳で新潟県西蒲原郡国上山の五合庵に入り、隠棲生活のスタートを切っている。この詩には、その隠者となった喜びが詠われているところから、作られたのは五合庵時代の初めの頃と推定される。
良寛は草書を最も得意とし、その書は実に天馬空を行くの感があって、世俗を超越した彼の風格がよく出たもので高く評価されており、かなりの数が今も残っている。
この詩も、鈴木家横巻に書かれたものの中の一詩であり、題はもともと付されていなかったが、主題を最もよく表す語として結句から取り出してつけたものである。

(鑑 賞)
隠遁宣言ともいえる詩である。構成から考えると、起。承の2句は、転句 「身を棄て、世を棄て、閑人となった」 からこそ、雨も、雲も、気も晴れて、心が清くなり、世の中すべて清くなったのである。かくして、結句の月と花とを相手に余生を送ることができる、となる。
また、この詩は、承句に 「晴」 を三度、承句に 「清」 を二度使ったり、平仄が合っていないなど襟体詩の規則に従って作られていない。これは、良寛の天衣無縫な性格から来るものであり、漢詩だけに限らず、書などについてもいえることではある。その奔放さの中にこそ、良寛の藝術の特徴が有るとも言えるのである。