(大 意)
この詩は、会津落城後、朝敵の汚名に泣かねばならなかった同藩士の苦衷を述べた詩である。
落城後は朝敵の汚名を受け、行くに乗るべき輿もなく、帰って身を置く我が家すらない。
国は破れて孤城鶴城址には、雀や烏の乱れ飛ぶばかりである。思えば政治に功績も上がらず、戦争の謀略も拙くて、この結果を招いたのは、皆われら臣下の罪である。今更何を歎こうぞ。
承れば天皇はもともと聖明にましまし給うし、又我藩公の行動も元より至誠より発したものである。至誠は白虹の白を貫き、天地を感応せしめることもあるから赦免の詔を下される日も、定めし遠くはないであろうと、幾度も額に手をかざしては、京都のほうを待ち望んでいる。
ただ一念これを想い思うて胸の憂いに涙しつつ夜を明かすこともある。
我身に吹く風はただ凄まじく、行く雲も惨ましく心に迫るのみである。ああ、何処にわが君を安んじ奉り、またわが身を奉ずべき。
君父安在の地さえ得られぬ亡国の臣、憐れなる我身よ。
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