さん てん
作間 鴻東
阿兄勝典勇抜群

阿弟保典武兼文

乃父將軍名希典

一家三典悉從軍

將軍發日告遺志

武夫捨命尋常事

一人戰士勿出棺

留一旦待兩個至

果然南山激戰時

冐險奮闘失長兄

敵彈無情旅順役

又爲乃木折一枝

接報將軍色不動

將軍不痛聞者痛

守棺夫人感奈何

夫人不慟国民慟

君不見嗚呼忠臣三楠公

殉難報國闔門空

壮烈古今堪相比

三典献身取遼東
けい 勝典かつすけ ゆう ぐん
てい 保典やす ぶん
だい しょう ぐん 希典まれすけ
いつ 三典さんてん ことごとじゅう ぐん
しょう ぐん はつ するの
めい つるはじん じょうこと
一人いちにん せん するもかんなか
いつとどしばらりょう いた るを
はた たしてしか南山なんざん 激戦げきせんとき
冒険ぼうけん 奮闘ふんとう ちょう うしな
敵弾てきだん じょう なりりょ じゅんえき
また ため いつ らる
ほうせつ するもしょうぐん いろ うご かず
しょう ぐん いた まずもの いた
かんまも るの じん かん かん
じんなげ かず国民こくみん なげ
きみ ずや ちゅう しん さん 楠公なんこう
じゅん なん 報国ほうこく 闔門こうもん むな
壮烈そう こん あい するに えたり
三典さんてん けん じてりょう とう

(大 意)
兄の勝典はその勇なること人にすぐれ、弟の保典は文武両道を兼ね備えていた。その父である大将は希典といい、この一家父子三典は悉く日露の戦争に従ったのである。
希典将軍はその兄弟の出征に当り、武士たる者が戦場に出る以上は花々しく戦死する事は当然の事であり、決して生還を思ってはならぬと訓し、更に夫人に向かい、若し一人戦死しても棺を出すな、あとの二人が戦死するのを待って、三つの棺を同時に出すようにせよと申しおかれたが、果たして金洲、南山の激戦に当り険を冒し勇を誓い、終に八里庄に於いて長子勝典は戦場の露と消え、又、旅順の攻撃には爾霊山に於てあわれ敵弾の為に次男保典少尉も名誉の戦死を遂げられた。
その報告を将軍にもたらしても将軍は顔色も変えず、悲しみ悼む姿も無く、ただ聞く者が同情し悲痛した次第であるが、二子を失われた静子夫人の哀愁は如何ほどであったろうか。
しかし、気丈な夫人はこの戦死に慟哭せず国民は皆夫人のこの気持ちに慟哭したのである。
君、見給えあの三代に及びて忠勇であった楠氏の一家一門を。国難に自ら進んで殉じ、君恩に報じ、一族郎党共に空しくなったではないか。
ああ、この壮烈なること、雄大にして忠正、東西古今に相比することが出来る。
この父子三人 (三典) が国家の為に命を捨てて、あの遼東の地を取ったのである。