(大 意)
桜井の駅に於ける父の遺訓は骨髄に銘じ、先帝後醍醐天皇の遺勅は耳に猶熱く残って、共に忘れる時とてない。これが結ばれて解けざること十年、尽忠報国の情熱は今日迸って賊軍に叩きつけられた。
思えば今上後村上天皇に御暇乞を言上して再び如意輪寺に立ち戻り、同志百四十三人と共々に皇居を再拝俯伏して、帰らじとの、三十一字に我が決死の覚悟を、鏃を以って涙ながらに扉板へ刻みつけたが、切っ先は其の時一層の輝きを増した。
北の方四条畷方面を望めば妖気漲り互る。賊将は誰、即ち高師直。彼の頭を獲なかったならば我が頭を授くべき覚悟は疾と出来ている。
天地も此れを照覧あれ。勝敗は天運、元より言うべきではない。然し正行の言行を貫く正気は万世に伝えて輝いている。
見給え。芳野廟の扉上鏃の痕を。今に猶歴然として生きているではないか。
この詩は明治十年十一月二十一日宮中吹上御苑の御茶亭にて、明治天皇が菊花上覧宴の酣なる時元田侍講を召し、吟詠を命じられた際、永孚が旨を拝して自作
「芳山楠木帯刀の歌」 を吟じたもので、陛下には大変お喜びになり、元田の吟詠は天下一だと仰せられたと。
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