さん じゅしゅ ていあそ
菊池 渓琴
1799 〜 1881


けむり こま やかにやま あわ くしてせい えい

ちてしゅん ろう さい ななめ なり

朦朧もうろう たりさん じゅう ろつ ぽうてら

しょう せい ゆる やかにはな
烟濃山淡映晴沙

日落春樓細雨斜

朦朧三十六峰寺

箇箇鐘聲緩出花

(通 釈)
春の一日、心火曜友達と打ち連れて鴨川の辺、三本木の酒楼に上れば、靄が濃く立ち込めてきて、山色が淡く薄れ、晴天の川砂の明るさとの対照が美しい。
やがて日が沈むと楼外は小雨となり、細かい雨足が斜めに、わずかに風が吹いているもようである。朧にかすむ東山三十六峰の寺々から晩鐘の音が一つ一つゆるやかに花の雲の間から洩れ聞こえてくるのである。

○三樹酒亭==京都の三本木の料理屋。
○晴沙==晴天の川原の砂。
○朦朧==ぼんやりとしてはっきりしないこと。
○三十六峰==京都東山。三十六は実数ではなく、数の多いことをいったもの。


(解 説)
詩の好きな親友摩島子毅 (号は松南、摂津の人) と京都三本木の料亭に遊んだ折りの作で、春雨にけぶる東山の晩景を詠じたもの。
(鑑 賞)
この詩など、渓琴の到達した最高の境地を示しているといえる。
起・承・転・結 の運びにより、見事に時間の推移による景色の変化を見せている。
起句は淡彩の山と日ざしの明るい川原を対照させており、承句では、いつしか日も暮れて降り出す小雨、転句では、その雨にけぶる三十六峰のおちこちの寺、それを受けて、結句では花の雲間からゆるやかに鳴りいでる寺々の鐘の声に耳を澄ますという光景をよく詠じている。
作者の感性の繊細さを感じさせる詩である一方、しなやかさがあっても弱さがない、骨のある詩としてまとまっている。