じま 高徳たかのり おう じゅしょ するのだい
斎藤 監物
1822 〜 1860


やぶ千山せんざん 万嶽ばんがくけむり

らん 輿 今日こんにち いず れのへん にかいた

たん ただ ちに ろういわや

いつ ふかさぐ鮫鰐こうがくふち

報国ほうこく丹心たんしん どく りょくなげ

回天かいてん ぎょう 空拳くうけんいか んせん

数行すうこう紅涙こうるい りょう ぎょう

おう してきゅう てんそう

踏破千山萬嶽煙

鸞輿今日到何邊

單蓑直入虎狼窟

一匕深探鮫鰐淵

報國丹心嗟獨力

回天事業奈空拳

數行紅涙兩行字

附與櫻花奏九天


(通 釈)
幾重にも重なる山々は何れも高く聳えて雲に囲まれている。
天子のあとを慕い、折りあらば途中にて御乗物を奪わんものと、間道から間道を辿り、峻しい峰々を越え、美作の杉坂に至ってみれば、すでに御乗物は因の荘を目指して進まれたとか、その影は何処にもない。
機会は刻々と去るばかり、是非もない。
天下ことごとく北条の勢となろうとも、この高徳一人あることを天子に知っていただき、多少なりとも御心を慰め申し上げたいものである。
夜陰にまぎれ、ただ一人蓑笠をまとい、一本の匕首を懐にして虎狼の窟、鮫鰐の淵ともいうべき警戒堅固な陣屋に忍び入った。
ああ、さりとて、一人の力だけでは、いかに報告の丹心をつくし、回天の事業を成さんとしても不可能である。
天子の御座所近くにありながら、徒手空拳ではいかんとも成しがたい。
おのれの非力に無念の涙は尽きない。せめて、間近に伺候した者のあることを知って頂いて、御心を安んじようと思う。
桜の幹を削り、したためるはただ二句。
(天勾践を空しうする莫れ。時に范蠡無きにしも非ず)
聡明なる天子のことであらせられるから、必ずこの句をお読みとりになり、高徳の微衷をお汲み取りいただいたことであろう。


(解 説)
児島高徳が後醍醐天皇が隠岐に遷幸されるのを奪還しようとして果たさず、因の荘 (今日の津山市院王) の行在所に潜入し、桜の幹を削り、(天莫空勾践時非無范蠡) との二行の詩句を書し、自分の微衷を奏上した故事を素材に詠じたもの。
元弘二年 (1332) 三月、北条氏のため隠岐に流される後醍醐天皇を途中で奪還しようと、備後三郎こと、児島高徳は義兵を集めて舟坂峠で待ち構えたが、鸞輿は他の道を通過し、義兵達は四散した。
やむなく高徳は単身、行在所に忍び、警護の目をかすめて、庭前の桜の木の皮をはぎ、 「天、勾践・・・・」 の詩句を書き付けた。
この史話の忠誠をたたえつつ、同時に作者自らの心情を詠じたもの。
(鑑 賞)
児島高徳は備後の人。(通称備後三郎) 。
北条時高によって隠岐に流されようとする後醍醐天皇を途中にて奪還しようとして舟坂山に義兵を結集したが、車駕は転じて山陰に入り、急追して美作の杉坂に到着したが、すでに通過のあと、失望した義兵はことごとく散った。
高徳はやくなく単身因の荘の行在所に忍び込み、庭前の桜を削り、十字の詩を書して微衷を奏し、御心を慰めた。
詩中の范蠡は越王勾践の臣で、呉王夫差と不椒の地で戦って敗れたが、会稽山に潜み、苦辛惨憺二十年の後、ついに王を助けて呉王の軍を五湖に破った。
その故事にのっとったものだが、警護に兵にわかるはずはなく、帝一人これをご覧になって意を強くされたという。
作者監物は、この高徳の誠忠と勇気を示す事蹟を考えながら、自分を振り返り、井伊直弼暗殺の計画に加わる自分を思ったのであろう。
詩中の <独力> <空拳> <単蓑> の語が切実に生きている。果たして、桜田門外では、折からの雪のため蓑をまとわねばならなかった。