がつ じゅう
菅原 道真
845 〜 903


こう がん しょく 白霜はくそうこうべ

いわ んやまた せん がいとう ぜらるるおや

むかしえい しん ばく せられ

いま貶謫へんたく 草莱そうらいしゅう

げっ こうかがみ たるもつみあきら かにする

ふう かたなごと くなるもうれい たず

るにしたが くにしたご うてみな 惨慄さんりつ

あきひとあき

黄萎顔色白霜頭

況復千餘里外投

昔被栄華簪組縛

今爲貶謫草莱囚

月光似鏡無明罪

風気如刀不斷愁

随見随聞皆惨慄

此秋獨作我身秋


(通 釈)
思いも寄らない冤罪により、このような遠い地に流される身となった。
今はいささか気持ちの平静を取り戻したものの、年老いて、顔の艶はなくなり、その色も晩秋に黄ばみ凋む草木のようになり、頭髪もまるで白霜と化してしまった。
身は都から千里以上もある地に放逐され、惨澹たるありさまで、気力もまた衰えてしまった。かっては栄華高貴の地位にあり、その官職のために、個人的な時間などまったく持つことも出来なかったが、今は理由もなしに、この草深い辺僻の地に身を置かれ、ありあまる時間の中に、思うことはつのっていくばかりである。
月は晧々と鏡のように明るく照り輝いているものの、私の無罪をその鏡のように晴らしてくれるわけでもなく、自然の風気は峻然ですべてのものを刀のように鋭く薙ぎ払うかのようであるが、その風気も私の愁いを断ち切ってはくれない。
目に入る風物、耳に入る風や虫の声、すべてが痛ましく哀しく、今年の秋は、秋の寂寥をすべて一身に集めたような感じがする。


(解 説)
道真が大宰府に流され、謫居中の作品。
「門を出でず」 と同様、 『菅家後集』 に収録されている。原題は 「秋夜 (九月十五日) とある。
延喜元年 (901) 九月十日の夜、月を眺めながら、秋風を感じ、身のさびしさ、悲しさを詠じたもの。

(鑑 賞)
「一般に秋は、詩人文人にとって悲しい季節であるが、このたびの秋のさびしさは、我が身の上にことごとく集中して、われのみ愁いが限りなく深い」 と第八句に、当時の道真の心境がよく出ている。
もはや、冤罪の晴れるべくもなく、また、都へ帰るすべもないことを悟ったことを感じさせる作品で、哀切極まりない。
ちなみに、道真は、これから二年後、延喜三年、大宰府で没した。