だい
絶海 中津
延元元 (1336) 〜 応水十二 (1405)


だい じょう 北風ほくふう
かく 登臨とうりんにち とき
鹿ろく群遊ぐんゆう れい
江山こうざん せん はん うつ
ちゅう しん あま んじてしょく けん
しょ しょう うれ べつはた
こうべめぐ らせばちょう しゅう えんそと
断烟だんえん じゅ ともせい たり
姑蘇臺上北風吹

過客登臨日暮時

麋鹿群遊華麗盡

江山千里版圖移

忠臣甘受屬鏤劍

諸將愁看姑蔑旗

囘首長洲古苑外

斷烟疎樹共凄其

姑蘇台の上に書いた風が吹き抜けてゆく。
旅の私は、日暮れ時にこの台に登ったのである。
台より見わたせば、多くの鹿が群れをなして遊んでいるのは、昔のままのようであるが、華やかであった筈の姑蘇台の面影は全く見当たらない。
しかも千里も遠く続く川と山とは、すべて他国のものとなってしまっているのである。
かって呉の忠臣伍子胥は、悪人太宰ヒの謗りにあい、呉王夫差から名剣屬鏤を賜って自殺した。
越王は二十年間復習の為の準備をして、ついに越は呉を討つために姑蔑に旗を揚げ、呉の諸将をして愁え看せしめたのである。。
台上から更にふり返って見れば、夫差の父闔閭が華やかに遊猟楽しんだ長洲苑の古跡外の、まばらに生えている樹木も往時とは似ても似づかず、まことに寂しい光景である。