ごく ちゅう さく
頼 三樹三郎
文政八 (1825) 〜 安政六 (1859)

くもはい ずから 妖?ようけいはら わんと ほつ
しっ きゃく きた しろ
井底せいてい 憂慮ゆうりょ
天辺てんぺん大月たいげつ 高明こうめい
鼎?ていかくのぞ んで いえしん
ゆめ鯨鯢げいげい って けんこえ
ふう ねん 苔石たいせきめん
たれだい せん にっ ぽん きょう せい
排雲欲手掃妖?

失脚墜來江戸城

井底痴蛙過憂慮

天邊大月缺高明

身臨鼎?家無信

夢斬鯨鯢劍有聲

風雨多年苔石面

誰題日本古狂生

垂れこめる密雲、その中から怪しげな星が時々陰惨な光をのぞかせている。これが現在の世相である。
自分は、その密雲を排し、その妖星を除かねばならないと念じ、力を尽くした結果、運悪く捕らえられて江戸に送られ、今は獄中の身となった。
一体、当事者は、この国難に対し、なんらなすこともなく、些かの世界観もなく、祖国の名誉も考えず、ただ臆病風にとりつかれて、日夜いたずらに憂慮するのみというありさまだ。
そのために、天に懸かる月の光の如くあまねく世を照し給う御稜威も、光輝を欠くに至ったのだ。
自分が斬首されることは時間の問題である。家の事も心にかからぬではないが、それよりももっと大きな心配がある。故に家には一本の手紙も出さず、また便りがなくとの気にならない。国のことを思うのみである。
昨夜は夢を見た。大きな鯨を斬り剣が鳴ったので眼を覚ました。
こうして、もゆる思いを抱いて首を斬られても、何も知らぬ人達は自分を極悪大罪人として取り扱うだろう。
しかし、墓石に苔がついた頃、はじめて 「日本の古狂生」 と名付けてくれる人があるかも知れない。