古来、わが神州には優れた宝刀が作り出されてきた。 神州男児たるものは、だれしも、子の宝刀を腰に佩びて、意気まさしく豪快であった。 しかしこれは人を斬るためのものではない。われわれの心に潜む邪悪な魔物を遂い払うためのものである。 どうかそのようになって、世界の人々と共に、太陽にも比すべき高い理想のもとに、平和な安らかな世が訪れれほしいものである。